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ブルシェンシャフト

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

ブルシェンシャフト
Burschenschaft
学生同盟とも呼ばれる。ナポレオン戦争後ドイツの大学生結成した団体。 Burscheは「若者」「学生」の意。従来の出身地方別学生団体がもつ中世以来の弊風を打破するため,全学生を対象として,1815年6月イェナ大学で創設された。祖国の精神的統一と学園の自由を高唱し,各地の 14大学が加入してメッテルニヒ体制と衝突。 17年 10月 18日,ワルトブルク (→ワルトブルク祝祭 ) の森における宗教改革 300年祭と,ライプチヒ戦勝祝賀の祭典に際し,全ドイツ・ブルシェンシャフトの設立を宣言。その後,極左派の K.ザントが,作家 A.コッツェブを暗殺するに及び,ドイツ政府はカルルスバート決議で,ブルシェンシャフトを公式に禁止した。その後秘密結社としてのみ存続し,七月革命,二月革命で一時的な示威運動を起したが,政治的な意義はほとんど失われた。

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デジタル大辞泉プラス

ブルシェンシャフト
19世紀のドイツで学生により組織された結社。対ナポレオン解放戦争に兵士として参加した学生たちが帰還後に組織した団体で、1815年にイエナ大学最初の組織が結成。以後各地の大学に同様の動きが広がり、ドイツ自由主義運動の象徴的存在となる。日本語では「学生同盟」ともいう。

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世界大百科事典 第2版

ブルシェンシャフト【Burschenschaft】
19世紀ドイツの学生結社。対ナポレオン解放戦争に志願兵として参戦した学生たちが大学へ復帰後,メッテルニヒ体制(ウィーン体制)に覆われた祖国の現状に反対し,ドイツの自由と統一を目標に掲げて各大学に組織した。その最初のものは1815年6月イェーナ,ギーセンの両大学につくられ,それぞれ左右両派を代表した。つまり,ブルシェンシャフトの主流をなす前者は,ドイツ統一を〈精神的修養,ドイツ的風習の復興,ホーエンシュタウフェン帝国への復帰〉という方法で実現しようとし,近代的ナショナリズムとゲルマン至上主義を分かち難く結びつけていたのに対し,〈ギーセンの黒衣派〉〈絶対派〉とも呼ばれた後者はカールおよびアドルフフォレンの両兄弟の指導のもと共和主義を掲げ,直接行動を主張した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

ブルシェンシャフト
ぶるしぇんしゃふと
Burschenschaftドイツ語
ドイツにおける自由主義運動の重要な一翼を担った学生団体。若者仲間の意で、「学生組合」ともいう。1815年6月イエナ大学で、従来出身地別に構成されていた学生団体ラントマンシャフトLandmannschaftの分立主義を否定して、単一の組織として結成された。中心となったのは、リュツォー義勇軍に属して対フランス解放戦争を戦った帰還学生で、その軍服にちなんで黒・赤・金旗を採用し、名誉・自由・祖国を標語としてドイツの自由と統一を主張した。運動は急速に拡大し、17年のワルトブルク祭を契機に翌年10月全ドイツ・ブルシェンシャフトが結成され、14大学がこれに参加してドイツ自由主義運動の最初の高揚期を形成した。メッテルニヒは、急進派学生K・L・ザントによる劇作家コッツェブーの暗殺事件を機に、19年カールスバートの決議を連邦議会に行わせ、ブルシェンシャフトを禁止して運動を厳しく弾圧した。しかし、以後も秘密結社によって運動は続けられ、32年のハンバハ祭以後は黒・赤・金旗はドイツ自由主義運動全体の象徴となった。40年代には「進歩主義運動」を形成して大学民主化闘争を行い、48年の革命には指導者の一母体として積極的に参加したが、革命の敗北後政治的意味を失った。[岡崎勝世]

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旺文社世界史事典 三訂版

ブルシェンシャフト
Burschenschaft
19世紀初め,ウィーン体制下にドイツの統一と学園の自由を求めた学生組合
1815年にイエナ大学につくられ,各地の大学に波及。1817年ルターの宗教改革300年祭とライプチヒ戦勝記念を兼ねたワルトブルクの祝典で,全ドイツ−ブルシェンシャフト結成を宣言した。メッテルニヒが1819年カールスバードの決議を発して弾圧したため衰退

出典:旺文社世界史事典 三訂版
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