Rakuten infoseek

辞書

ブラント

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

ブラント
Blunt, Wilfred Scawen
[生]1840.8.17. サセックス,ペットワースハウス
[没]1922.9.12. サセックス,ニュービルディングズ
イギリスの詩人外交官となったが結婚とともに辞職し,アラブ馬の育成に努めた。詩集プロテウスの愛のソネット』 The Love Sonnets of Proteus (1880) で認められた。アイルランドエジプト,インドなどの民族主義運動の弁護者としても知られる。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ブラント
Brand, Hennig
1670年頃ハンブルクに世したドイツの化学者。「賢者」を捜していたために「最後錬金術師」といわれることもある。 69年,尿の中から暗闇で光るものを発見し,これをリン phosphorus (発光物) と名づけた。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ブラント
Brandt, Georg
[生]1694.7.21. リッダリタン
[没]1768.4.29. ストックホルム
スウェーデンの化学者。 H.ブールハーフェのもとで医学と化学を学んだ。 1727年鉱山局の分析主任になり,その3年後造幣局長官になった。 30年にコバルトを発見・分離した。ヒ素化合物,アンチモン,ビスマス,水銀亜鉛の研究でも知られる。 50年にウプサラ大学の初代化学教授に就任,後進の育成に努めた。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ブラント
Brandt, Max August Scipio von
[生]1835.10.8. プロシア
[没]? ワイマール
幕末~明治初期の駐日プロシア公使。開国・通商条約締結のため極東諸国に派遣された F.A.オイレンブルク伯の使節随員として万延1 (1860) 年7月来日,日普修好通商条約の締結尽力。文久2 (62) 年 11月 15日駐日総領事兼外交代表として横浜に着任。慶応3 (67) 年3月代理公使に昇任戊辰戦争の終期には,局外中立を撤廃し新政府を承認することに難色を示した。明治3 (70) 年北ドイツ連邦代理公使,次いで同5年弁理公使。 1875年清国駐在公使に転じ,93年引退。著書"33 Jahre in Ost-Asien" (1901~02) 。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ブラント
Brandt, Willy
[生]1913.12.18. リューベック
[没]1992.10.8. ボン近郊
西ドイツの政治家。本名 Karl Herbert Frahm。 1930年社会民主党 SPDに入党,1933年第三帝国の成立とともにノルウェーに亡命,帰化して,ウィリー・ブラントと名のった。その後ノルウェー,スウェーデンでジャーナリストとして活躍。ベルリンでの地下活動やスペイン内乱に参加したが,ソ連での粛清,スペインでの共産党の活動などをみて共産主義に批判的となった。第2次世界大戦後ドイツに戻り,1948年社会民主党の再建に協力,ドイツ国籍に戻り,ソ連によるベルリン封鎖を契機として政治の表舞台に登場。 1949~57年連邦議会議員,1957~66年西ベルリン市長,1964年社会民主党党首。 1966年キリスト教民主同盟 CDUとの大連合内閣の副首相兼外相,1969年自由民主党との小連合内閣の首相に選ばれた。以後緊張緩和外交 (東方外交) を推進,東西ドイツ基本条約締結などの成果をあげ,1971年にノーベル平和賞受賞。 1974年5月ギヨーム事件の責任をとり,首相を辞任。その後,社会民主党党首の地位にとどまって社会主義インターナショナルの平和路線を推進し,ヨーロッパからの中距離核戦力全廃を求める「ゼロの選択」提案を行なうなど,国内政治,国際政治両面で陰然たる力を保ち続けた。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ブラント
Brant, Joseph
[生]1742. オハイオ川流域
[没]1807.11.24. オンタリオ,ブラントフォード付近
アメリカインディアン,モホーク族の族長。イギリスの北部アメリカインディアン監督官 W.ジョンソン卿の義兄弟。フレンチ・アンド・インディアン戦争 (1754~63) とアメリカ独立戦争 (75~83) では,イロコイ6民族連盟中4民族を率いてイギリス側に立って戦った。独立戦争後,平和的解決を望み,マイアミ族など西方の諸民族とアメリカとの仲介役をつとめた。晩年カナダのオンタリオ州グランド河畔に土地を得て移住。イギリス国教会伝道師として伝道に従事し,祈祷書福音書をモホーク語に翻訳し教会を設立した。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ブラント
Brant, Sebastian
[生]1457. シュトラスブルク
[没]1521.5.10. シュトラスブルク
ドイツの詩人,法律家。バーゼル大学で法律,神学を学び,教鞭をとった。シュトラスブルクに戻ってからは市の官吏をつとめた。人文主義者たちと関係をもったが,その姿勢は依然として中世の伝統に結びついていた。法学上の著作やラテン語詩,翻訳があるが,最大の傑作は,韻文によるアレゴリー『愚者の船』 Das Narrenschiff (1494) である。「愚者の天国」へ船出する 100人余の馬鹿者を登場させて,あらゆる階層の愚行を風刺,人間の愚かさ,いたらなさを攻撃したもので,同時代の最も著名な作品となり,ラテン語をはじめ各国語に翻訳され,のちの愚者文学に大きな影響を与えた。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉

ブラント(Willy Brandt)
[1913~1992]ドイツの政治家。社会民主党SPD)党首として西ドイツ首相に就任。在任1969~1974。東側諸国との関係の正常化に努め、1971年ノーベル平和賞受賞。→シュミット

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

ブラント Brandt, Max August Scipio von
1835-1920 ドイツの外交官。
1835年10月8日生まれ。万延元年(1860)日本-ドイツ通商条約締結のためオイレンブルク公使の随員として来日。文久2年初代駐日領事として横浜に着任。明治元年北ドイツ連邦総領事,5年駐日ドイツ全権公使となり,対日外交に活躍した。享年85歳。ベルリン出身。

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

ブラント【Bill Brandt】
1905‐83
イギリスの写真家。ロンドンに生まれるが,子供のころはドイツで過ごす。スイスで病気療養中に写真に興味を持ち,本格的に写真を始めた。その後パリへ出て,1929‐30年の間M.レイアシスタントを勤め,そこでE.アッジェ,E.ウェストン,ブラッサイの写真に触れ,また親交のあったシュルレアリストたちの影響を受けた。31年ロンドンに戻り,フリーの写真家としての活動を始める。イギリス人の日常生活のドキュメントや第2次大戦中のロンドン空襲下の市民の生活を記録した写真は,ジャーナリズムを越えた深い内面性をもつものであった。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

ブラント【Sebastian Brant】
1458‐1521
ドイツの作家。風刺文学《阿呆船(愚者の船)Das Narrenschiff》(1494)の作者。シュトラスブルク(現,ストラスブール)に生まれ育ち,長じてバーゼル大学に学生としてさらに法学部教授として25年間席を暖めたが,シュワーベン戦争の結果スイスが神聖ローマ帝国から事実上独立しバーゼルもこれに加盟の勢いとなるに及んで,国王マクシミリアン1世(のちの神聖ローマ皇帝)を信奉するブラントは,職を辞しシュトラスブルクに帰郷(1500)した。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

ブラント【Willy Brandt】
1913‐92
西ドイツの政治家。社会主義青年運動に参加。1933年亡命,ジャーナリズム活動に従事しつつ反ファシズム運動に参加。47年西ドイツに戻り,西ベルリンのドイツ社会民主党指導者となり,49‐57年連邦議会議員,57‐66年西ベルリン市長,1964年社会民主党党首,66年キリスト教民主同盟との大連合政府で副首相兼外相,69‐74年自由民主党との連立政権の首相を務める。彼のもとで東ドイツ,ソ連など社会主義諸国との関係改善を目ざす東方政策が進展した。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

大辞林 第三版

ブラント【Brandt】
Bill B. 1904~1983 イギリスの写真家。1920年代にパリでマン=レイの助手として写真を学び、幻想とリアリズムを結合させた独自のスタイルを完成。力強いヌード写真でも知られる。
Willy B. 1913~1992 ドイツの政治家。西ベルリン市長。1964年社会民主党党首となり、69年旧西ドイツで連立内閣を組閣。74年まで首相として東側諸国との融和に努めた。

出典:三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

367日誕生日大事典

ブラント
生年月日:1835年10月8日
ドイツの外交官
没年不詳年没

出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
(C) Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

精選版 日本国語大辞典

ブラント
(Willy Brandt ウィリー━) ドイツの政治家。一九六四年、社会民主党党主。六九~七四年、自由民主党との連立政権の首相を務め、ソ連・東欧との関係正常化に尽力した。七一年ノーベル平和賞受賞。(一九一三‐九二

出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

旺文社世界史事典 三訂版

ブラント
Willy Brandt
1913〜92
ドイツ連邦共和国(旧西ドイツ)の政治家
本名はヘルベルト=フラームというが,反ナチス抵抗運動時代の変名をそのまま使用。1957〜66年西ベルリン市長をつとめたが,この間,64年に社会民主党党首となる。1969年には自由民主党と連立内閣をつくって首相に就任し,西ドイツの外交をアデナウアー以来の冷戦外交から転換,ソ連・東ドイツとの協調をめざす東方政策を展開した。1971年ノーベル平和賞を受賞。1974年5月,秘書のスパイ事件で引責辞職した。

出典:旺文社世界史事典 三訂版
執筆者一覧(50音順)
小豆畑和之 石井栄二 今泉博 仮屋園巌 津野田興一 三木健詞
 
Copyright Obunsha Co.,Ltd. All Rights Reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ブラント」の用語解説はコトバンクが提供しています。

ブラントの関連情報

関連キーワード

アヘン戦争シュティフターレールモントフアヘン戦争アヘン戦争ウィレム[1世]勧進帳シューマン雪華図説レールモントフ

他サービスで検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.