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ブラウン

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

ブラウン
Braun, Felix
[生]1885.11.4. ウィーン
[没]1973.11.29. クロスターノイブルク
オーストリアの詩人,小説家。ホーフマンスタールの影響のもとに印象主義詩人として出発。『新生』 Das neue Leben (1913) などの詩集のほか,1910年代のオーストリアを象徴的に描いた小説『アグネス・アルトキルヒナー』 Agnes Altkirchner (27) や詩劇がある。 1939年ロンドンに亡命。ウェルフェル以後のオーストリア詩壇の第一人者と目される。

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ブラウン
Braun, Karl Ferdinand
[生]1850.6.6. ヘッセン,フルダ
[没]1918.4.20. ニューヨーク
ドイツの物理学者。マールブルク大学,ベルリン大学に学び,1872年学位を得た。ウュルツブルク,マールブルク各大学を経て,テュービンゲン大学教授 (1885) ,シュトラスブルク大学教授 (95) 。熱力学などを研究したのち,74年整流作用をもつ結晶を発見,97年にはブラウン管を発明。 1909年 G.マルコーニとともにノーベル物理学賞受賞。第1次世界大戦中アメリカを訪れ,アメリカの参戦により抑留されたまま死亡した。

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ブラウン
Braun, Wernher von
[生]1912.3.23. ウィルジッツ
[没]1977.6.16. バージニア,アレクサンドリア
ドイツ生れのロケット工学者。富裕な貴族の家に生れ,1930年ベルリン工科大学在学中から宇宙工学の大家の一人である H.オーベルトの助手をつとめた。 32年ベルリン大学入学,34年に同大学からロケットエンジンの研究で学位取得。その後,軍からの援助でロケット研究を続け,第2次世界大戦末,世界最初の弾道ミサイルV-2を完成。戦後アメリカに帰化 (1955) ,アメリカ陸軍の研究所でロケットの研究を続けた。スプートニクでソ連に先を越されたアメリカが,エクスプローラの打上げでようやく面目を保ったのは,彼のグループの努力の結果であった。その後アメリカ航空宇宙局 NASAの枢要な地位にあって,アポロ計画を手がけ,サターン・ロケットの開発を指揮し,人類を月に送り込むことに成功。 72年 NASAを退き,フェアチャイルド社の技術開発の重役に就任した。

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ブラウン
Brown, Alexander
[生]1764.11.17. バリミナ
[没]1834.4.3. ボルティモア
アイルランド生れのアメリカの実業家。 1800年アメリカに移住し,アイリッシュ・リネンの輸入業者となり,貿易,銀行業をおもに扱う企業としてはアメリカ最古のアレクサンダー・ブラウン・アンド・サンズを設立,4人の息子も共同経営者として世界各地に支店を開設した。ほかに鉄道会社ボルティモア・アンド・オハイオ・レール・ロードの設立にも関与した。アメリカ最初の百万長者の一人。

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ブラウン
Brown, Alexander
[生]1843.9.5. バージニア,グレンモア
[没]1906.8.25.
アメリカの歴史家。南北戦争で聴力を失い,郷土バージニア植民地の歴史を研究。従来のイギリス本国中心の解釈を否定し,ロンドン会社内のリベラル派が植民地の諸制度の発展に与えた影響を重視した。主著『合衆国の起源』 The Genesis of the United States (1890) 。

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ブラウン
Brown, Charles Brockden
[生]1771.1.17. フィラデルフィア
[没]1810.2.22. フィラデルフィア
アメリカの作家。「アメリカ小説の父」といわれる。初め弁護士をしていたが,生来のロマンチックな気質から文筆に転じて,雑誌編集のかたわら翻訳,政治論文などを発表,W.ゴドウィンの影響を受け,またイギリスのゴシック小説にならって人間の異常な心理を巧みに描く恐怖小説を次々と発表,ポーやホーソーンの先駆となった。主著『ウィーランド』 Wieland (1798) ,『オーモンド』 Ormond (1799) ,『エドガー・ハントリー』 Edgar Huntly (1799) ,『アーサー・マービン』 Arthur Mervyn (1799~1800) など。

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ブラウン
Brown, Ernest William
[生]1866.11.29. ハル
[没]1938.7.22. コネティカット,ニューヘーブン
アメリカの天文学者。ケンブリッジ大学卒業。 1891年アメリカに渡り,のちハバーフォード大学教授 (1893) ,エール大学教授 (1907) 。月の運動理論を三体問題として研究し,1919年従来の5倍も詳しい月の位置表を完成。ほかにトロヤ群の相互作用,冥王星天王星海王星に対する引力効果の研究がある。ロイヤル・ソサエティ会員 (1897) ,14年同ソサエティのロイヤル・メダル受賞。アメリカ科学アカデミー会員 (23) ,37年同アカデミー,ワトソン・メダル受賞。

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ブラウン
Brown, Ford Madox
[生]1821.4.16. カレー
[没]1893.10.6. ロンドン
イギリスの画家。ベルギー,フランスで学んだのち,ロンドンに定住,ラファエル前派のグループと交わった。明るい色彩と写実的技法で歴史画,宗教画を描き,本の挿絵も描いた。またステンドグラスを制作。主要作品は十数年を費やした大作『労働』 (1852~63,マンチェスター市立美術館) ,マンチェスター市役所の 12枚の壁画など。

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ブラウン
Brown, Francis
[生]1849.12.26. ニューハンプシャー,ハノーバー
[没]1916.10.16. ニューヨーク
アメリカのユニオン・チャーチの牧師,教育者,セム語学者。父はハミルトン・カレッジの学長 (1867~81) をつとめた S.G.ブラウン (13~85) ,祖父は「ダートマス大学事件」当時,同校の学長であった F.ブラウン (1784~1820) 。ダートマス大学,ユニオン神学校を卒業後,ベルリンに留学。 1879年ユニオン神学校の聖書言語学講師,81年助教授,90年ヘブライ語教授,1908年校長。言語学,語彙学の業績に対し,イギリス,アメリカの諸大学から名誉学位を授与された。主著『アッシリア語研究-旧約研究における利用と誤用』 Assyrilogy; its Use and Abuse in old Testament Study (85) 。

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ブラウン
Brown, Franklin. H.
[生]1882
[没]1973
日本にバレーボールバスケットボールを紹介し普及に努めたアメリカ合衆国のYMCA体育主事。 1913年東京 YMCAの招きで来日し,関係者にバレーボールとバスケットボールを伝えた。日本および極東スポーツ界の師といわれる。

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ブラウン
Brown, George
[生]1818.11.29. エディンバラ
[没]1880.5.9. トロント
カナダの政治家。 1837年ニューヨークに移住し,43年にトロントへ移った。 44年に週刊紙『グローブ』 (のちに日刊紙となる) を創刊。この紙上において自由主義的見解や政教分離の主張,カトリック教会の影響力への攻撃,カナダ東部と西部の地域代表制による連合カナダ植民地議会ではなく,「人口比代表制」による議会改革案を展開した。カナダ東部 (現ケベック州) からは敵視されたが,カナダ西部 (現オンタリオ州) の農民,特にクリア・グリットからは絶大な支持を得,『グローブ』紙はカナダのジャーナリズムの歴史に一時期を画する人気と影響力を得た。カナダ西部の改革派を代表して 51年連合カナダ植民地下院に選出され,58年8月にはわずか2日間ではあったが A.ドリオンと組んで組閣した。北アメリカにおける植民地の連合には原則的に賛成していたが,保守派の J. A.マクドナルドと協働できなかったのを,64年6月の「大連立内閣」にマクドナルドとそろって入閣したことが,コンフェデレーション実現のきっかけとなった。

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ブラウン
Brown, George Alfred
[生]1914.9.2. ロンドン
[没]1985.6.2. コーンウォール
イギリスの政治家。トラック運転手の子として生れ,労働組合運動に参加,のち労働党の実力者となった。 1945年下院議員,51年に公共事業相として入閣,60~70年労働党副党首。 64年労働党の H.ウィルソン内閣の経済相,66年8月外相。熱心なヨーロッパ統合運動の推進者で,外相在任中ヨーロッパ共同体 EC6ヵ国を歴訪し,67年イギリスの EC加盟 (第2回) を申請した。ウィルソン首相と衝突して 68年3月辞任。 70年6月の総選挙で落選し,上院議員に任ぜられた。同年ジョージ=ブラウン George-Brownに改姓。

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ブラウン
Brown, Henry Billings
[生]1836.3.2. サウスリー
[没]1913.9.4. ブロンクスビル
アメリカの法律家。海事法の権威として有名。 1890~1906年連邦最高裁判所の准判事。

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ブラウン
Brown, Henry Kirke
[生]1814.2.24. アメリカ,マサチューセッツライデン
[没]1886.7.10. アメリカ,ニューヨーク
アメリカの彫刻家ニューヨークのユニオン・スクエアにある『ワシントン騎馬像』の作者として有名。 1842年から4年間イタリアに遊学,新古典主義的彫刻を身につけた。帰国後多くの騎馬像を制作。『リンカーン騎馬像』 (リンカーン・スクエア) ,『復活の天使』 (ブルックリン) などがある。甥の H.ブラウン (1857~1935) も彫刻家で,『野牛狩り』,ゲティズバーグの『ミード将軍』や『レイノルズ将軍』の胸像で知られる。

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ブラウン
Brown, Herbert Charles
[生]1912.5.22. イギリス,ロンドン
[没]2004.12.19 アメリカ合衆国,インディアナ,ラフェーエット
アメリカ合衆国の有機化学者。2歳のとき渡米。1936年シカゴ大学を卒業後,同大学助手。1938年学位取得。1939年ウェイン大学助教授に就任,1947~78年パーデュ大学教授。シカゴ大学助手時代,ホウ素を研究し,ホウ素化合物ジボランの簡単かつ高収率の合成法を開発,また用途の広い還元試薬水素化ホウ素ナトリウムを発見した。1955年には,炭素二重結合をもつ有機化合物にジボランを反応させて有機ホウ素化合物を合成するなど,新しい合成反応を次々に展開し,有機化学の発展に寄与した。これらの業績により,1959年アメリカ化学会ニコルズ・メダルを受け,1979年ノーベル化学賞をゲオルク・ウィッティヒとともに受賞した。

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ブラウン
Brown, Hubert Gerald (Rap)
[生]1943.10.4. ルイジアナ,バトンルージュ
アメリカ合衆国の黒人運動指導者。サザン大学在学中に学生非暴力調整委員会 SNCCに加わり,公民権運動で活躍。1967年ストークリー・カーマイケルの跡を継いで SNCCの委員長に就任,暴力の必要性を公然と主張するなど黒人の闘争をいっそう過激な方向に導いた。幾度も逮捕されたのち亡命。著書 "Die, Nigger, Die!"(1969)。

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ブラウン
Brown, Jacob Jennings
[生]1775.5.9. ペンシルバニア,バックス
[没]1828.2.24.
アメリカの軍人。 1798~1800年 A.ハミルトン軍事関係秘書。 10年ニューヨーク州民兵軍の准将,12年のアメリカ=イギリス戦争ではニューヨーク州のフロンティアで活躍。 14年アメリカ陸軍の准将となり,カナダ侵攻作戦を試みチッペワとナイアガラで勝利を得たが,海軍の支援がなく失敗に終った。

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ブラウン
Brown, John
[生]1735. スコットランド,バンクル
[没]1788.10.17. ロンドン
イギリスの医師。すべての病気は外的刺激に対する身体の反応 (興奮性) の過不足によって起り,治療法も鎮静と興奮の2方法があるだけと主張した。王立医師会会長を2度もつとめたが,彼の説には反対者が多く,借金と貧窮のうちにみずからも2つの薬,アヘンとアルコールを飲みすぎて自説犠牲者となり,死期を早めた。しかし,生命現象を刺激に対する反応としてとらえ,その所在を筋肉と神経としたブラウン説は,その後の医学界に大きな影響を与えた。

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ブラウン
Brown, John
[生]1800.5.9. コネティカットトリントン
[没]1859.12.2. バージニア,チャールズタウン
アメリカの奴隷制廃止論者。奴隷解放運動者としての天命を悟り,1855年息子4人と奴隷州か自由州かでもめるカンザス地方に乗込んでゲリラ活動を展開,翌年5月ポタワトミーで奴隷制支持者5人を虐殺した (→ポタワトミー虐殺 ) 。カンザスを追われ,東部の奴隷制廃止論者の支持を得て,バージニアとメリーランドの山地に自由黒人,逃亡奴隷のための本拠地建設を計画。その一環として 59年 10月「ブラウンの蜂起」を起し,バージニア州ハーパーズフェリーにある連邦武器庫を襲撃して逮捕され,同年 12月絞首刑に処せられた。死後北部の奴隷制反対派から奴隷解放殉教者,英雄としてあがめられた。

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ブラウン
Brown, John Mason
[生]1900.7.3. ケンタッキー,ルイビル
[没]1969.3.16. ニューヨーク
アメリカの劇評家。ハーバード大学卒業。『ニューヨーク・イブニング・ポスト』紙 (1929~41) や『土曜文学評論』誌 (44~55) などの劇評を担当。主著『観客席の二人』 Two on the Aisle (38) ,『ブロードウェー批評』 Broadway in Review (40) ,『物を見ること』 Seeing Things (46) 。

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ブラウン
Brown, Lancelot
[生]1716. カークハール
[没]1783.2.6. ロンドン
イギリス 18世紀の自然主義造園の主導者。通称 Capability Brown。 1740年ストウのコバム卿の庭園師となり,W.ケントのもとで自然風の作庭を行うなかから,ケントの創始した非整形式造園を踏襲しつつ独自の様式を開拓。大きなスケールのなかに蛇行する湖と細流,木立ちや樹林帯などの大要素を散在させてつくるまろやかさ,スムーズに連続する変化,静寂さを特徴とする。また,建物も従来のように中心的存在として扱うのではなく,造園と同等の設計要素として位置づけ直して,風景のなかに「ピクチャレスク」に配され眺められる対象物となるよう,弟子の H.ホランドとともにパラディオ風の建築を多く建てた。クルーム・コート (1751~52) やクレアモント・ハウス (69~72) はその例。作庭例はドディントン・パーク (64) ,ブレニム宮庭園 (63) ,アシュバーナム (67) など 200近い。

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ブラウン
Brown, Nathan
[生]1807.6.22.
[没]1886.1.1. 横浜
アメリカのバプテスト派宣教師。ビルマ,アッサムで伝道活動のかたわら新約聖書をアッサム語に翻訳した (1848) 。帰米後奴隷解放運動に尽力。のち J.ゴーブルとともに来日 (73) して横浜バプテスト教会を創立。新約聖書の共同翻訳委員となったが,他派宣教師と訳語をめぐって意見を異にし,単独で最初の日本語訳新約聖書を完成した (79) 。

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ブラウン
Brown, Olympia
[生]1835.1.5. ミシガン,プレーリーロンド
[没]1926.10.23. メリーランド,ボルティモア
アメリカ合衆国の女権拡張論者。1863年ユニバーサリスト教会の牧師に任命され,アメリカで初の女性牧師となった。1866年スーザン・B.アンソニーと出会い,その後女性参政権獲得のため奮闘。1873年の結婚以後も旧姓を保持した。1887年から 30年間ウィスコンシン女性参政権協会会長。

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ブラウン
Brown, Peter
[生]1665頃
[没]1735
イギリスの哲学者。トリニティ・カレッジ入学 (1682) ,同校フェロー (92) ,同校学寮長 (99) 。コークとロスの監督 (1710) 。最初は J.トーランドの『神秘ならざるキリスト教』 Christianity not Mysterious (1696) に対する批判によって有名になったが,さらにロックの観念説を批判し,われわれが精神的なものを知るのは物質的なものとの類比によってであると主張して,バークリーと論争をかわした。主著『人間悟性の所為,範囲および限界』 Procedure,Extent and Limits of the Human Understanding (1728) ,『自然的および人間的事物との類比により概念化させられる神的および超自然的事物』 Things Divine and Supernatural Conceived by Analogy with Things Natural and Human (33) 。

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ブラウン
Brown, Robert
[生]1773.12.21. アンガス,モントローズ
[没]1858.6.10. ロンドン
スコットランドの植物学者。エディンバラで医学を学んだのち,軍医となってアイルランドで服務。 1798年ロンドンを訪れ,当時ロイヤル・ソサエティの会長であった J.バンクスの知遇得た。彼のすすめでオーストラリア探検隊に参加し (1801~05) ,約 4000種の植物を採集。帰国後,それを分類して『オーストラリアの植物』 Prodromus Florae Novae Hollandiaeを著わす (10) 。また,花粉の形が植物を分類するための手掛りを与えることを示した。 1810年バンクスの私設図書館の館員となり,20年彼の植物コレクションを遺贈される。 27年大英博物館に新しく設けられた植物科の管理者となり,バンクスのコレクションをそこへ移す。同年,花の受精を顕微鏡観察している最中,水面に浮んだ花粉粒から出た小粒子が激しい振動運動を行うことに気づき,さらに採集後 100年を経ている植物標本からとった花粉粒の小粒子あるいは無機物の微粒子でさえも,水面で同じように運動することを見つけた。この現象は,その後物理学の研究対象となり,今日ブラウン運動の名で知られている。 31年,ランの受精を研究中に細胞の中に特定の構造が存在することを認め,それを核と名づけた。この発見は細胞内部の構造に対する生物学者たちの関心を高める結果となり,細胞学の興隆にとって,礎石の一つとなった。

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ブラウン
Brown, Samuel Robbins
[生]1810.6.16.
[没]1880.6.20.
アメリカのオランダ改革派宣教師。マカオに伝道 (1839~47) ののち来日して横浜に英語塾を開き,英語教育にあたった。『日本語の会話書』 Colloquial Japanese (63) を出版。一時帰国,1869年再来日して横浜の修文館で英語を教え,またブラウン塾を開いて日本の教会の指導者となった本多庸一植村正久井深梶之助押川方義らに神学を教えた。また新約聖書の日本語訳にも貢献した。

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Brown, Thomas
[生]1778.1.9. カーマブレック
[没]1820.4.2. ブロンプトン
イギリスの哲学者。スコットランド学派 (→常識哲学 ) に属する。 1810年エディンバラ大学教授。 D.ヒューム,T.リード,E.コンディヤックの影響を受け,連想心理学の確立に貢献。主著『人間精神の哲学』 Lectures on the Philosophy of the Human Mind (4巻,1820) 。

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ブラウン
Browne, Elliott Martin
[生]1900.1.29. ウィルトシャー,ジールズ
[没]1980.4.27. ロンドン
イギリスの演出家。 1935年カンタベリーにおける『寺院の殺人』の初演をはじめ,T.S.エリオットの作品を多く演出。また 51年には,1572年以来舞台で演じられたことのなかったヨーク聖史劇を上演するなど,現代の詩劇宗教劇の復活上演の中心として活躍した。

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Browne, Sir Thomas
[生]1605.10.19. ロンドン
[没]1682.10.19. ノーフォーク,ノリッジ
イギリスの医者。当代随一の散文の名手。オックスフォード大学で古典を修め,モンペリエ,パドバ,ライデンの各大学で医学を学んだ。帰国後ノリッジ定住,『医師の宗教』 Religio Mediciを書いた。この書は神秘主義的な信仰心と懐疑的実証的な科学精神とが奇妙に融合している個人的な手記だが,原稿のまま回覧されるうちに無断で出版 (1642) されたため,翌年みずから定本を出版した。『迷信論 (伝染性謬見) 』 Pseudoxia Epidemica (46) も好評を博したが,彼のラテン的な文体が完成されたのは『壺葬論』 Hydriotaphia,Urne-Buriall,『サイラスの庭』 The Garden of Cyrus (ともに 58) においてで,前者は発掘されたローマの骨壺に寄せて葬礼一般を論じながら,死と人間の名声のはかなさを瞑想したもの,後者はエデンの園から始る園芸の歴史を跡づけたもの。

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Brown, James
[生]1933.5.3. サウスカロライナ,バーンウェル
[没]2006.12.25. ジョージア,アトランタ
アメリカ合衆国の歌手,作曲家。20世紀のポピュラー音楽界に最も影響を与えた一人で,「ショービジネス界一の働き者」「ソウルゴッドファーザー」と称された。15歳のときに盗みを働いて教護院に収容され,そこで仲間とゴスペル・グループを結成。釈放後,ロック歌手のリトル・リチャードに見出され,音楽活動を始める。ファーストシングル『プリーズ,プリーズ,プリーズ』(1956)は最終的に 300万枚を売る出世作となった。ヒットチャート入りしたシングルは約 100枚,アルバムは 50枚近く。1960年代には公民権運動を背景に黒人の地位向上を目指すメッセージソングを次々と書く。『コールド・スウェット』(1967)などでダンスブームの火つけ役となった。1980年代にヒップ・ホップの広がりとともにブラウンの曲は再び脚光を浴びた。1986年ロックの殿堂入り。

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ブラウン
Brown, Michael S.
[生]1941.4.13. ニューヨーク,ニューヨーク
アメリカ合衆国の分子遺伝学者。フルネーム Michael Stuart Brown。ペンシルバニア大学卒業(1962),同大学で医学博士号を取得(1966)。マサチューセッツ総合病院でジョゼフ・L.ゴールドスタインと出会い,ともに国立衛生研究所 NIHに入所(1968)。テキサス大学医学部に招かれ(1971),1977年から同大学教授,遺伝疾患研究センター所長。家族性高コレステロール血症の患者と一般人との遺伝学的な差異を研究。コレステロールを含む血液中の低密度リポ蛋白質(LDL。→低比重リポタンパク)を細胞に取り込む受容体をつくる遺伝子の欠損が原因であることを発見し,コレステロール代謝の機構を解明した。ゴールドスタインとともに 1985年ノーベル生理学・医学賞を受賞。

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ブラウン
Brown, Gordon
[生]1951.2.20. グラスゴー
イギリスの政治家。首相(在任 2007~10)。フルネーム James Gordon Brown。16歳で奨学生としてエディンバラ大学に入学し,1972年卒業。大学講師,スコティッシュ・テレビの記者兼編集者を経て 1983年下院初当選。トニー・ブレアと親交を結び,労働党の政治理念改革を主導,国家社会主義の実現という旧来の路線から,市場経済との共存を目指す現実路線への転換をはかった。1997年の総選挙で労働党が圧勝すると,ブレア政権の財務大臣に就任。政策金利の決定権をイングランド銀行に移管するなどの改革を行ない,以後 10年にわたる在任期間中のイギリス経済の比較的安定した成長を実現した。ブレア退陣後,2007年無投票で労働党党首に選出され,首相に就任。2008年に起こった世界金融危機以降は国際的リーダーシップを発揮したが,国内での不人気を覆せず,2010年5月の総選挙で労働党が惨敗。13年ぶりに第一党の座を失った責任をとって党首を辞任し,首相職も辞した。

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ブラウン
Brown, Jim
[生]1936.2.17. ジョージア,セントシモンズ
アメリカ合衆国のアメリカンフットボール選手。本名 James Nathaniel Brown。NFL史上最も偉大なランニングバック RBと称される。シラキュース大学在学中,アメリカンフットボールラクロスの全米代表選手として活躍。のちに両競技ともに殿堂入りを果たす。 1957~65年クリーブランド・ブラウンズに在籍し,ラッシングヤードと総獲得ヤードの記録を打ち立てた。この記録は 1984年にウォルター・ペイトンによって破られるまで保持した。また9シーズンの間で8回,リーディングラッシャーのタイトルを獲得。1キャリーあたりの平均獲得ヤード (5.22ヤード) の記録保持者。 30歳の全盛期に引退後,映画俳優に転身。

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デジタル大辞泉

ブラウン(brown)
茶色。褐色。とび色。

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ブラウン(Gordon Brown)
[1951~ ]英国の政治家。労働党。大学講師・テレビ記者を経て、1983年に下院議員に当選。1997年から10年間ブレア政権の蔵相を務め、不況から安定成長へと経済を回復させた。2007年にブレアの後任として首相に就任。→キャメロン

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ブラウン(John Brown)
[1735~1788]英国の医学者。病気は外部からの刺激の過不足によって起こると主張。著「医学の諸要因」。

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ブラウン(Karl Ferdinand Braun)
[1850~1918]ドイツの物理学者ブラウン管の発明や、無線通信技術などに業績がある。1909年、G=マルコーニとともにノーベル物理学賞受賞。

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ブラウン(Robert Brown)
[1773~1858]英国の植物学者。オーストラリアおよびタスマニア島で多くの動植物を採取し、分類学者として活躍。ブラウン運動細胞核の発見、被子植物裸子植物とを分けるなど多くの業績がある。

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ブラウン(Samuel Robbins Brown)
[1810~1880]米国改革派教会の宣教師。1859年(安政6)来日、横浜でブラウン塾を開き、教育・伝道に努め、植村正久ら多数のキリスト教指導者を育成。また、新約聖書の翻訳に尽くした。1879年(明治12)帰国。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

ブラウン Brown, Donald
1905-1980 アメリカのジャーナリスト。
1905年6月24日生まれ。昭和8年来日,「ジャパン-アドバタイザー」(現「ジャパン-タイムズ」)の記者となる。21年GHQ民間情報教育局情報課長として再来日。日本アジア協会副会長をつとめ,日本文化を海外に紹介した。おおくの蔵書は横浜開港資料館に所蔵されている。昭和55年5月17日日本で死去。74歳。オハイオ州出身。ピッツバーグ大卒。

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ブラウン Brown, Nathan
1807-1886 アメリカの宣教師。
1807年6月22日生まれ。ビルマ,インドのアッサムでの伝道をへて明治6年(1873)来日,横浜の山手横浜第一浸礼教会(現日本バプテスト横浜教会)を設立。独力で日本初の全訳新約聖書「志無也久世無志与(しんやくぜんしよ)」を完成させた。明治19年1月1日横浜で死去。78歳。ニューハンプシャー州出身。ウィリアムズ大卒。

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ブラウン Brown, Samuel Robbins
1810-1880 アメリカの宣教師。
1810年6月16日生まれ。安政6年(1859)アメリカのオランダ改革派教会から派遣されて来日,明治2年再来日。新潟英学校,横浜修文館でおしえたのち,6年横浜にブラウン塾をひらき,植村正久(まさひさ),本多庸一(よういつ)らをそだてた。12年帰国。1880年6月20日死去。70歳。コネティカット州出身。ユニオン神学校卒。

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ブラウン Brown, Albert Richard
1839-1913 イギリスの航海士,技師。
慶応2年(1866)P&O汽船の航海士として来日。明治2年灯台と浮標設置のための灯台船船長として工部省にやとわれる。7年台湾出兵の際は兵員輸送にあたり,18年日本郵船誕生でゼネラルマネージャー。22年離日。1913年12月死去。74歳。ハンプシャー州出身。

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色名がわかる辞典

ブラウン【brown】
色名の一つ。JISの色彩規格では「暗いみの黄赤」としている。一般に、黄色の中間色を表す重要な系統色のこと。和名の茶色に相当する位置づけで、多くの派生色をもっている。ココアブラウンココナッツブラウンコーヒーブラウントバコーブラウンバンダイクブラウンヘアーブラウンラセットブラウンなどが代表的。

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世界大百科事典 第2版

ブラウン【Charles Brockden Brown】
1771‐1810
アメリカ最初の職業的作家といわれる。フィラデルフィアのクエーカー教徒の商人の家に生まれ,法律を学んだが,1797年に女権論を出版したのを皮切り健筆をふるった。彼の小説では《ウィーランド》(1798),《エドガー・ハントリー》《オーモンド》《アーサー・マービン》(いずれも1799)の4編が有名である。先の2編は18世紀末にイギリスで流行したゴシック・ロマンスの型をアメリカの舞台に応用したもので,今日にいたるまで連綿とつづくアメリカ文学におけるゴシック的伝統のさきがけと考えられる。

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ブラウン【Edward Granville Browne】
1862‐1926
イギリスのイラン学者。露土戦争に影響を受け,ケンブリッジ大学入学後は,医学を修めるかたわら広くイスラム学に関心をもった。1887‐88年,イランに旅行,バーブ教の調査を行った。彼の学風はペルシア語写本の綿密な研究に基づく文献学的方法に特色があるとともに,同時代史にも鋭い関心を寄せ,主著《イラン立憲革命》を著した。87年以来,母校の教壇に立ち,イラン学の基礎を築いた。【坂本 勉】

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ブラウン【Ernest William Brown】
1866‐1938
アメリカの天文学者。イギリスの生れ。1887年にケンブリッジ大学の数学卒業試験を上位の成績でパスして特別研究員となった。91年にアメリカに移り,93年ハバーフォード単科大学数学教授となり,学生時代にG.W.ヒルの理論を学んで以来,ずっと関心をもってきた月運動論の研究に専念した。97年に母校ケンブリッジ大学の学位を取得,またローヤル・ソサエティ会員となった。1907年にブラウンは月運動表の計算と出版に理解を示したイェール大学に移り,32年まで数学教授を務めた。

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ブラウン【Ford Madox Brown】
1821‐93
イギリスの画家。フランスのカレーに生まれ,ブリュージュヘントアントワープ,パリで学ぶ。1844年イギリスに定住。45年ローマを訪れ,ナザレ派の画家と交わる。彼らの宗教的で真摯(しんし)な芸術態度に対する共感は,ロセッティらに伝えられ,〈ラファエル前派〉誕生の引金となる。彼自身は結成メンバーとはならなかったが,この若いグループの指導的役割を果たしたことでその存在の意味は大きい。初期にはロマン的,歴史的な主題を伝統的手法で描いていたが,しだいに宗教的,社会的な主題に傾き,晩年は表現に誇張やデフォルメが目立つようになった。

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ブラウン【George Brown】
1818‐80
カナダの政治家。カナダ建国の父の一人とされる。スコットランドに生まれ,1838年ニューヨークに移住。43年にトロントへ移り,翌年から《グローブ》紙を発刊。L.M.ラ・フォンテーヌとR.ボールドウィンの政治改革運動を支持して論陣を張る。51年,連合カナダ植民地立法議会に当選し,58年には2日間の短命内閣を組閣した。1855年,カナダ西部の農民(〈クリア・グリット〉と呼ばれた)の声を代表する2紙を吸収した《グローブ》は,〈人口比例代表制〉と〈ハドソン湾会社領有地の獲得〉という改革党と農民の要求を代弁して,連合カナダ植民地政界に大きな影響力を及ぼすようになる。

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ブラウン【Karl Ferdinand Braun】
1850‐1918
ドイツの物理学者。ブラウン管の発明や無線の実用化によって有名である。裁判所事務員の子としてフルダに生まれた。マールブルクとベルリンで学び,H.L.F.vonヘルムホルツの下で博士号を取得した。マールブルク,ストラスブール,カールスルーエ,チュービンゲン各大学の教授を務めた。1870年代に半導体の点接触による非対称電気伝導を報告した。これは整流現象に関する初期の重要な研究である。97年に彼は陰極線管を発表した。

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ブラウン【Lancelot Brown】
1716‐83
風景式庭園を完成させたイギリスの造園家,建築家。ノーサンバーランド州出身で,1740年にバッキンガムシャーのストウStoweの庭園師となり,ケントとともに造園に携わる。以後,クルーム・コート(ウォーセスターシャー,1752),ブレニム宮殿(オックスフォード近郊,1769),クレアモント邸(サーレー,1772)など200を超す庭園計画に携わる。敷地のもつ〈可能性〉を十分生かした土地改造方法を唱えたことから,〈ケーパビリティ・ブラウンCapability Brown〉とあだ名される。

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ブラウン【Nathan Brown】
1807‐86
アメリカ・バプティスト自由伝道協会の日本派遣宣教師。ビルマ(現ミャンマー)とアッサムで23年間宣教,アッサム語訳の新約聖書を完成(1838)した。のち帰国し,《アメリカン・バプティスト》誌の主筆となり奴隷制度の廃止にも努めた。1873年来日,横浜第一浸礼教会を設立。聖書邦訳の共同委員会に加わったが,〈バプテスマbaptisma〉の訳語を〈洗礼〉ではなく〈浸礼〉とすることを主張して辞任,79年独自に新約聖書の日本最初の全訳刊行を果たした。

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ブラウン【Ott Braun】
1900‐74
ドイツ人共産主義者。中国名は李徳または華夫。中国紅軍の大長征に参加した唯一の外国人。ミュンヘンに生まれ,第1次大戦の末期に社会民主党左派を支持,のち共産党に加わる。1926年に逮捕,投獄されるが,28年,脱獄に成功,ソ連に行って軍事技術を学んだ。32年,コミンテルンによって軍事顧問として中国へ派遣され,華南ソビエト区に入る。しかし,彼の軍事に関する正規軍的な思考法は,毛沢東の遊撃戦理論と合わず,また現実的でもなかったのでしだいに影響力を失った。

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ブラウン【Samuel Robbins Brown】
1810‐80
アメリカの改革派教会宣教師。中国の澳門(マカオ)で宣教し,一度帰国のあと1859年(安政6)来日,67年(慶応3)の帰国まで英語の教授と宣教にあたった。62年(文久2)には日本語会話修得のための《コロクイアル・ジャパニーズ(英和俗語辞典)》を出版した。69年(明治2)再び来日し横浜修文館で英語を教えたが,73年塾を開設,井深梶之助,植村正久,本多庸一ら日本基督教会の指導者となる人々を育てた。新約聖書翻訳の委員ならびに委員長として努力したが,病気のために完成を見ずに79年帰国した。

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ブラウン【Thomas Browne】
1605‐82
イギリスの文人,医師。オックスフォードや大陸の諸大学で医学を修め,ノリッジで開業し,その地方の名士となった。イギリス全体がはげしい思想・信仰上の変革の波に洗われている時期に,一歩も二歩もしりぞいた立場から,静かな思弁と博学な省察を,特異に高揚した名文に書きとどめた。ラテン語系の朗々たるリズムは比肩するものなく,独特の機知は散文における〈形而上派〉と呼ぶにふさわしい。《医師の宗教》(1643)は,理性と信仰の相克の時代に,ゆとりある寛容の精神を説いている。

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ブラウン【Wernher von Braun】
1912‐77
ドイツ生れのアメリカのロケット技術者。ビルジッツの生れ。少年のころに読んだH.オーベルトの《惑星間空間へのロケット》に刺激を受け,宇宙ロケットの研究を志す。ベルリン工科大学に学び,34年にはベルリン大学から液体ロケットに関する研究により学位を取得,一方,この間オーベルトの助手として小型ロケット実験を行っていた。彼の研究は早くからドイツ陸軍の注目を引き,1932年ベルリン工科大学在学中からドイツ陸軍の文官として採用され,やがてペーネミュンデにおいてロケット兵器V2号を開発するチームを率いることになった。

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ブラウン【John Brown】
1735‐88
イギリスの医師。スコットランドのバンクル教区に生まれ,少年時代はレスリング,フットボールなどに熱中,18歳でエジンバラ大学へ行き家庭教師をしながら苦学して哲学と神学を修めた。24歳で医師を志し,解剖学教授のモンローAlexander Monro(1697‐1767)から無料聴講の許可を得たのをはじめ,熱意を認められて5年間各教授から授業料免除で,医学を修めた。1780年に《医学原論Elementa Medicinae》を刊行し〈ブラウン学説〉を唱えた。

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ブラウン【John Brown】
1800‐59
アメリカの熱狂的な奴隷解放論者。コネティカット生れで,若いころは北部各地を転々としながら,父に従って奴隷の逃亡を助ける地下組織underground railroadに加わり,奴隷制度打倒が神から自分に与えられた使命であると信じるようになった。1855年,カンザス準州が奴隷制度をめぐる争点となったとき,彼は子どもたちを連れて移住し,オサワトミーでゲリラを組織,56年にポタワトミー川で奴隷制度拡大派の5人を殺害した。

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ブラウン【Robert Browne】
1550ころ‐1633
イギリス会衆派教会の祖。ケンブリッジ大学の学生のとき,カートライトの長老主義の影響を受け,のちこれをいっそう徹底させた。彼の教会観は,各個教会は世俗的権威からも教会的上位の権威からも独立しているという,いわゆる会衆主義で,このため初期会衆派は〈ブラウン主義者Brownists〉と呼ばれた。英国国教会の弾圧を受け,オランダへ亡命したが,帰国後獄中で死んだ。【小倉 義明】

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ブラウン【Robert Brown】
1773‐1858
イギリスの植物学者。スコットランド生れ。1798‐1805年の間,博物学者としてオーストラリアの探検隊に加わり,ラフレシアをはじめ多くの種属を記載し,また裸子植物の系統上の位置を確立した。植物細胞の顕微鏡観察で細胞核を発見し,M.J.シュライデン(1838),T.シュワン(1839)の細胞説の契機をつくった。ムラサキツユクサの細胞で複雑なタイプの原形質流動を観察し,原形質流動への関心を高めた。ブラウン運動も彼の発見になる。

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大辞林 第三版

ブラウン【brown】
茶色。褐色。

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ブラウン【Braun】
〔Karl Ferdinand B.〕 (1850~1918) ドイツの物理学者。1897年、ブラウン管と呼ばれる陰極線管を発明。また、化学平衡の移動に関するル=シャトリエブラウンの法則を発表(一八八七)。
〔Wernher von B.〕 (1912~1977) ドイツ生まれのロケット技術者。ナチスのロケット兵器 V2 号を開発。第二次大戦後アメリカに渡り、アポロ計画用のサターン V 型ロケットの開発チームを率い、同計画を成功に導いた。

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ブラウン【Brown】
〔James B.〕 (1933~2006) アメリカの歌手。リズムアンドブルース、ブルース、ゴスペル、ファンクなど多彩なビートで数々のヒット曲を放つ。
〔Lester Russell B.〕 (1934~ ) アメリカの環境問題研究者。1974年にシンクタンク、ワールドウォッチ研究所を創設。同研究所の年報である「地球白書」は世界で広く読まれ、市民運動や行政に影響を与えている。
〔Robert B.〕 (1773~1858) イギリスの植物学者。分類学者として活躍したほか、植物の細胞核の発見、原形質流動の観察、裸子植物と被子植物の区別、ブラウン運動の発見など多くの業績を残す。
〔Samuel Robbins B.〕 (1810~1880) アメリカの改革派宣教師。1859年来日。横浜で伝道のかたわら英語教育に従事。ブラウン塾を開いて多くのキリスト教指導者を育成し、聖書翻訳事業にも尽力。

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図書館情報学用語辞典

ブラウン
1862-1914.スコットランド生まれ.ロンドン区部の公共図書館に長年勤めながら20世紀初頭の英国公共図書館論をリードした.デューイ流の合理主義的米国図書館学に反発しながら,エドワーズ以来の英国伝統の図書館論を確立しようとした.その著書『図書館経営法』(Manual of Library Economy1902, 1907)は彼の死去後の第3版(1920)以降も彼の名を残したまま刊行が続けられ,第7版(1961)まで刊行されている.また,分析合成型の分類法の先駆といわれる『件名分類法』(Subject Classification1906)も彼の業績として知られている.

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367日誕生日大事典

ブラウン
生年月日:1866年11月29日
アメリカの天文学者
1938年没

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精選版 日本国語大辞典

ブラウン
〘名〙 (brown) 褐色。茶色。
※西洋料理通(1872)〈仮名垣魯文〉三「第三十六等 フラウンと云色に製す」

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ブラウン
[一] (John Brown ジョン━) アメリカ合衆国の奴隷制廃止運動家。奴隷の蜂起を画策してバージニア州ハーパーズフェリーの連邦武器廠を襲撃したが、失敗に終わり、処刑された。(一八〇〇‐五九
[二] (Karl Ferdinand Braun カール=フェルディナント━) ドイツの物理学者。ブラウン管の発明、電気計の改良、無線電信の研究などの業績がある。一九〇九年マルコーニと共にノーベル物理学賞受賞。(一八五〇‐一九一八

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化学辞典 第2版

ブラウン
ブラウン
Brown, Herbert Charles

ロンドン生まれのアメリカの化学者.両親はウクライナ出身のユダヤ系移民.1938年シカゴ大学より学位を取得後,同大学の研究助手を経て,ウェイン大学助教授,そして1947年にはパーデュー大学教授となり,1978年名誉教授となった.シカゴ大学研究助手時代にH.I. Schlesinger教授とともにホウ素化合物とその反応について研究し,ホウ素化合物ジボランの簡単で収率の高い合成法を考案した.また,テトラヒドロホウ酸ナトリウムの簡単な合成法も発見したが,この試薬は,以後きわめて用途の広い還元試薬として利用されるようになる.1955年には,ジボランを炭素の二重結合をもつ有機化合物と反応させて有機ホウ素化合物を合成したが,この生成物有機合成化学において,大変有用性の高い物質である.以上の功績により,1979年ノーベル化学賞を受賞した.

出典:森北出版「化学辞典(第2版)」
東京工業大学名誉教授理博 吉村 壽次(編集代表)
信州大学元教授理博 梅本 喜三郎(編集)
東京大学名誉教授理博 大内 昭(編集)
東京大学名誉教授工博 奥居 徳昌(編集)
東京工業大学名誉教授理博 海津 洋行(編集)
東京工業大学元教授学術博 梶 雅範(編集)
東京大学名誉教授理博 小林 啓二(編集)
東京工業大学名誉教授 工博佐藤 伸(編集)
東京大学名誉教授理博 西川 勝(編集)
東京大学名誉教授理博 野村 祐次郎(編集)
東京工業大学名誉教授理博 橋本 弘信(編集)
東京工業大学教授理博 広瀬 茂久(編集)
東京工業大学名誉教授工博 丸山 俊夫(編集)
東京工業大学名誉教授工博 八嶋 建明(編集)
東京工業大学名誉教授理博 脇原 將孝(編集)

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