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フルシチョフ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

フルシチョフ
Khrushchëv, Nikita Sergeevich
[生]1894.4.17. クルスク,カリノフカ
[没]1971.9.11. モスクワ
ソ連の政治家。ウクライナ国境近くの貧しい農家に生れ,父は炭坑員。少年時代から労働に従事。 1918年ボルシェビキに加入し,19年赤軍に参加。国内戦ののちユゾフカ (現ドネツク) のソビエト労働者学校に学び,25年ユゾフカで党専従活動についた。 29年モスクワ・スターリン記念工業大学に入り,35年にはモスクワ党委員会第一書記に就任。大粛清のなかで反対派一掃に活躍し,I.スターリンの側近の地位を確保。 38年ウクライナ党第一書記,翌年党政治局員に選出され,第2次世界大戦にはスターリングラード防衛戦で功績をあげた。戦後ウクライナ党責任者として復興に尽力,49年モスクワ党委員会第一書記に移り,自己の権力を強化し続けた。スターリン死後の 53年9月党第一書記となり,農業振興や雪どけ外交を進め,55年ユーゴスラビアとの関係回復を実行。 56年の第 20回党大会で平和共存を中心とする新路線を打出すとともに,きびしいスターリン批判を行い,内外に衝撃を与えた。同年秋には東欧圏に動揺が発生,国内的にも反フルシチョフ勢力が幹部内に結成されたが,57年6月に V.M.モロトフ,G.M.マレンコフ,L.M.カガノビッチらを追放,58年3月には N.A.ブルガーニンに代って首相をも兼任,最高権力者の地位を固めた。その後対外政策面では緊張緩和の一時代をつくりだしたが,国内では農業生産が停滞し,行政機構改革は下部の抵抗にあって失敗,軍縮政策も軍部の反発を買った。また中ソ対立の解決を目指した世界党会議工作も暗礁に乗上げ,64年 10月党第一書記と首相の座を追われ,年金生活に入った。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

フルシチョフ(Nikita Sergeevich Khrushchyov)
[1894~1971]ソ連の政治家。スターリン死後、ロシア共産党第一書記に就任。1956年の党大会でスターリン批判を行い、1958年からは首相を兼任して平和共存路線を推進したが、中国との関係は悪化した。1964年に失脚し、引退。

出典:小学館
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世界大百科事典 第2版

フルシチョフ【Nikita Sergeevich Khrushchyov】
1894‐1971
ソ連邦の政治家で,非スターリン化の推進者。ロシア南部クルスクの炭坑夫の子として生まれ,ドネツ炭田で働き始める。十月革命後の1918年の内乱時に赤軍に参加,共産党に入党する。ネップ期はウクライナの党の活動に従事するが,29年からはモスクワに移り,工業大学に入る。35年には共産党モスクワ市委員会第一書記として活躍する。38年にはウクライナ党第一書記となり,39年の第18回共産党大会で政治局員に選出された。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

フルシチョフ【Nikita Sergeevich Khrushchyov】
1894~1971) ソ連の政治家。スターリン死後中央委員会第一書記となり、スターリン批判を行い、平和共存外交・党内民主化を提唱。アメリカとの冷戦緩和に努めたが、中ソ対立を招き、農業政策にも失敗、1964年失脚した。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

フルシチョフ
ふるしちょふ
Никита Сергеевич Хрущёв Nikita Sergeevich Hrushchyov
(1894―1971)
ソ連の政治家。4月17日、ウクライナに近いロシア連邦南部のクルスク県カリノフカ村の炭鉱夫の家庭に生まれる。少年時代から牧童として働き、15歳のときに父が働くドネツ炭鉱に入る。1915年に最初の妻ガリーナと結婚、1916年に長女ユーリア、1918年に長男レオニードを得る。1918年に共産党に入党し、発足まもないソビエト政権擁護のために反革命軍と戦う。1921年に復員後ドネツ炭鉱に戻り、1922年から3年間ドネツ工業専門学校労働者予備学部で学ぶ。この間に妻ガリーナを1921年の飢饉(ききん)で失い、1924年にニーナと再婚。ニーナとの間に息子セルゲイ、娘ラーダとエレーナの3児を得る。同学部終了後ドネツ炭鉱とキエフで党活動に専従、1929年にモスクワの工業大学に入学、ここでスターリンの妻ナジェジュダ・アリルーエワと知り合い、スターリンの知己を得る。1931年にモスクワ市のバウーマン地区党委員会書記となり、モスクワ市党委第二書記、同第一書記、モスクワ州党委第二書記を経て1935年にモスクワ市・州党委第一書記となる。1934年にソ連党中央委員、1937年にソ連最高会議代議員に選ばれ、中央政界に足場を築く。1938年1月にウクライナ党中央委第一書記に転じ、1949年12月までウクライナで活動、とくに対独戦と戦後復興に尽力した。この間、1947年3月から12月まで第一書記を辞し、ウクライナ首相を務めたが、すぐに第一書記に戻った。また、1938年にはソ連党中央委政治局員候補、1939年には同政治局員となり、ソ連の最高指導部の一員となった。1949年12月にソ連党中央委書記兼モスクワ州党委第一書記としてモスクワに帰り、1952年10月の第19回党大会では党規約の改正について報告、スターリン、マレンコフに次ぐ党内第3位の実力者であることを示した。1953年3月のスターリンの死後、党中央委書記の仕事に専念、同年9月に正式に第一書記となった。1956年2月の第20回党大会ではスターリンを批判し、内外に大きな衝撃を与えた。1957年6月にはスターリン批判に反対するマレンコフ、モロトフなどの反撃にあい、失脚しそうになるが、巻き返して逆に反フルシチョフ派を追放、1958年3月にはソ連首相も兼任、名実ともにソ連の最高指導者となった。1959年アメリカを訪問し、アイゼンハワー大統領と会談、米ソ共存路線を推進したが、中国との関係は悪化した。また農業生産も停滞しそれを克服しようとして行った機構改革も失敗した。1964年10月に主観主義と主意主義の誤りを犯したとして批判され、党第一書記と首相の地位から解任された。1971年9月11日、年金生活中に死去。胸像のついた墓がモスクワのノボジェービチー修道院の墓地にある。1970年と1974年に西側で『フルシチョフ回想録』が出版されたが、フルシチョフ自身は生前その存在を公式には否定していた。[中西 治]
『M・ラッシュ著、安田志郎訳『ニキタ・フルシチョフ』(1959・時事通信社) ▽G・ボッファ著、石川善之助訳『スターリンからフルシチョフへ』『フルシチョフ時代――続スターリンからフルシチョフへ』(1961、1962・三一書房) ▽E・クランクショー著、高橋正訳『フルシチョフ――その政治的生涯』(1967・弘文堂) ▽S・タルボット編、佐藤亮一訳『フルシチョフ最後の遺言』上下(1975・河出書房新社) ▽R・メドベージェフ、Zh・メドベージェフ著、下斗米伸夫訳『フルシチョフ権力の時代』(1980・御茶の水書房)』

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精選版 日本国語大辞典

フルシチョフ
(Nikita Sjergjejevič Hruščjov ニキタ=セルゲービチ━) ソ連の政治家。第二次世界大戦中ウクライナ戦線の軍事指導に活躍。一九五三年スターリンの死後の第一書記となり五六年スターリン個人崇拝を批判、五八年以後首相を兼任して、いわゆる米ソ冷戦の緩和に努力したが、六四年失脚した。(一八九四‐一九七一

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