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フサイン

世界大百科事典 第2版

フサイン【Ḥusayn b.‘Alī b.Abī Ṭālib】
625‐680
シーア派第3代イマーム。第4代カリフ,アリーと預言者ムハンマドの娘ファーティマとの間に生まれた第2子。メディナに隠退していた兄ハサンの死で,シーア派は彼を同派の盟主と仰ぐにいたった。680年,ウマイヤ朝カリフ,ムアーウィヤ1世の死後,カリフ位を継承したヤジードを認めず,シーア派の招きに応じてクーファで反旗を翻すべく同地に向かった。しかし,クーファ近郊のカルバラーでウマイヤ朝の政府軍に包囲され,これと戦って戦死した(680年10月10日,ヒジュラ暦61年ムハッラム月10日)。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

フサイン【Ḥusayn b.‘Alī】
1852ころ‐1931
ヒジャーズ王。在位1916‐24年。第1次世界大戦下のアラブ反乱の名目上の代表者。預言者ムハンマドの後裔とされるハーシム家の生れ。オスマン帝国のアブデュルハミト2世の命令でメッカに拘束されたが,1908年青年トルコ革命でシャリーフとしてメッカ知事となった。アラブ民族主義者たちに推戴され,14年末よりカイロに密使を送ってイギリス側と接触(フサイン=マクマホン書簡),戦後のアラブ王国独立の承認の約束をとりつけ,息子のファイサル1世アブド・アッラーフ・ブン・フサインらとともに反乱を開始し,16年ヒジャーズ王となった。

出典:株式会社平凡社
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20世紀西洋人名事典

フサイン
Ḥusayn bin Ṭalāl


1935.11.14 -
ヨルダン国籍。
ヨルダン国王。
別名フセイン1世,Amir Abdullah Hussein I.。
英国に留学後、1953年国王に即位。’58年2月アラブ連邦を結成するが、同年8月イラク革命で連邦解消し、アラブ世界で孤立。’67年アラブ連合と共同防衛条約に調印、中東戦争に突入する。’70年軍事政権を樹立し、パレスチナ・ゲリラとの対立で内戦状態となる。その後’78年PLOと和解、’80年のイラン・イラク戦争の際にはイラクを支持。’82年アル・ファタハの在ヨルダン事務所の閉鎖を発表し、PLOとの協調関係が破綻。同年9月パレスチナ問題解決のためPLOとの連合国家構想を提唱した。

出典:日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)
(C) 1995 Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
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