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フィリピン革命【フィリピンかくめい】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

フィリピン革命
フィリピンかくめい
Philippine Revolution
1896年8月末から 1902年4月頃まで続いたフィリピン独立のための武力闘争。戦いの相手は最初スペインであったが,アメリカ=スペイン戦争の結果,フィリピンがアメリカ合衆国の植民地となると,アメリカに対して行なわれた(フィリピン=アメリカ戦争)。アンドレス・ボニファシオが組織したカティプナンはかねて武力革命の準備を進めていたが,1896年8月末,マニラ郊外で蜂起した。当時監禁されていた穏健派の志士ホセ・リサールがこの蜂起と関係があるとされ,12月30日に処刑されたので,最初ルソン島の 8州にかぎられていた反乱はしだいに他の地域に波及した。しかし,指導者ボニファシオは軍事的才能に欠け,カビテ地区の若い指揮官エミリオ・アギナルドがこれに代わって人望を得,革命指導者となった。アギナルドは 1897年5月にボニファシオを反逆罪のかどで処刑した。スペイン軍との激しい戦闘の末,革命軍は敗北したが,1898年1月改革案を含むビアクナバト条約をスペインとの間で締結,アギナルドはホンコンへ追放された。4月キューバの統治をめぐる衝突からアメリカ=スペイン戦争が起こると,アギナルドはアメリカ艦隊に同乗してマニラに入り,スペインとの闘争再開を声明。フィリピンは,6月12日スペインからの独立を宣言,アギナルドを大統領とする臨時共和制を布告した。アメリカ軍は最初は革命軍を助けたが,マニラ占領の頃からこれを遠ざけ,スペインと秘密交渉を重ねてフィリピンの奪取を策し,パリ講和条約によりスペインからフィリピンの統治権を譲り受けた。革命政府はこれに憤慨して首都をルソン島のブラカン州に移し,1899年1月21日にマロロス憲法を発布し,アギナルドを大統領,アポリナリオ・マビニを首相に定めた。アメリカはこのフィリピン共和国政府をまったく無視し,2月ついに両軍が衝突。革命軍は苦境に立ち,1901年3月アギナルドは捕虜となり,抵抗は 1902年4月頃終わった。(→フィリピン史

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世界大百科事典 第2版

ふぃりぴんかくめい【フィリピン革命】

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日本大百科全書(ニッポニカ)

フィリピン革命
ふぃりぴんかくめい
1896年から1902年にかけてフィリピンでは、スペインの植民地支配を打倒しアメリカの再植民地化を阻止する独立闘争が展開された。これをフィリピン革命という。16世紀後半以来、3世紀余にわたって続けられたスペインのフィリピン支配は、19世紀後半に至って民族的な抵抗を受けるに至った。抵抗運動は、初め植民地統治の改革を要求する言論活動として展開されたが、なんらの成果をみなかった。そこで1892年7月、カティプーナンとよばれる秘密結社が組織され、武力革命を目ざすに至った。カティプーナンは1896年8月までに3万人を超える会員を組織した。しかし、肝心の武器調達がまったく進まないうちに組織の存在が発覚し、8月30日蜂起(ほうき)のやむなきに至った。カティプーナン総裁ボニファシオの檄(げき)にこたえて、ルソン島マニラ周辺の八州が即日蜂起した。革命軍は粗末な手製の武器と、スペイン軍から奪ったわずかな武器で緒戦をよく戦った。しかし、1897年に入って大量の援軍がスペインから到着すると窮地に陥った。またこの間、革命軍内部ではボニファシオとアギナルドの間に指導権争いが生じ、1897年5月ボニファシオは粛清された。新たに革命軍の指導権を掌握したアギナルドは、1897年12月スペインと和約を結んで香港(ホンコン)へ亡命した。しかし、各地の戦場では戦いは中止されず、ゲリラ戦が続行した。1898年4月、アメリカがスペインに宣戦してフィリピン情勢に介入、8月にはマニラを占領した。そして12月、アメリカはスペインとの間にパリ条約を結んで、フィリピンの統治権を譲り受けた。これに対して革命軍は、アメリカによる再植民地化を阻止すべく、自らの力で地方の解放を推進し、1899年1月にはフィリピン共和国を樹立した。こうして革命軍とアメリカ軍の緊張関係は、2月全面戦争へ発展した。軍事力において圧倒的劣勢にたつ革命軍は、ゲリラ戦術で執拗(しつよう)に抵抗を続けたが力及ばず、1902年7月よりアメリカの全面的なフィリピン支配が開始された。[池端雪浦]
『池端雪浦・生田滋著『東南アジア現代史 フィリピン・マレーシア・シンガポール』(1977・山川出版社) ▽レナト・コンスタンティーノ著、池端雪浦・鶴見良行他訳『フィリピン民衆の歴史』(1978・井村文化事業社)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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