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パルティア

デジタル大辞泉

パルティア(Parthia)
古代イランの王国。前247年ごろ、シリアセレウコス朝の衰退に乗じ、イラン系遊牧民パルニ族のアルサケスが、イラン高原北東部(古称パルティア)に(よ)って独立して建国。226年、ササン朝ペルシアによって滅ぼされた。パルチア。中国名安息

出典:小学館
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世界大百科事典 第2版

パルティア【Parthia】
西アジアの王国。アルサケス朝パルティアともいう(図)。中国ではアルシャクArshak(アルサケスArsaces)を音訳した〈安息〉の名で知られる。パルティアはイラン北東部の地方名で,アケメネス朝時代にはパルサワParthavaと呼ばれていた。
[歴史]
パルティアの建国は,前3世紀中ごろ,セレウコス朝シリア(シリア王国)の東半部に生じた政治的変動に乗じて行われた。アルサケス1世Arsaces I(在位,前247‐前217か214)はスキタイ系遊牧民ダアアイの一部族パルノイを率いてアスタウエネを占領し,前247年アサアクにおいて即位した。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

パルティア
ぱるてぃあ
Parthia

イラン北東部に紀元前3世紀ごろイラン系遊牧民が建てた王国。建国者アルサケスの名からアルサケス朝ともよばれ、中国史料では「安息(あんそく)」と記されている。前247年、パルニ人の長アルサケスはセレウコス朝の支配から脱し、独立政権を建てた。その後を継いだ弟のティリダテスはシリアのセレウコス2世に敗北したが、その後ふたたび勢力を回復し、前171年ごろ即位したミトリダテス1世の治下において、王国は広大な版図を獲得した。王はバクトリア王国やセレウコス朝の領土を征服し、さらにメディア、バビロニアに侵入した。都は初めニサであったが、その後ヘカトンピロスに移され、前129年には新しい首都としてクテシフォンが建設された。王国はこの新都を中心に繁栄した。しかしその子フラーテス2世や、次王アルタバヌス2世は、南下してきた遊牧民サカ人やトハラ人との戦いに敗れたため、国内の統一は崩れて混乱した。前123年ごろ即位したミトリダテス2世の時代に帝国は復興したが、アルメニアの領有をめぐり膨張してきたローマ帝国と衝突した。王はローマと友好条約を結んだが、その後も両国間の戦いは続いた。パルティアの組織化された軽装騎兵は、ローマの重装歩兵に対して、その機動力を十分に生かした戦術で健闘した。しかしパルティアも王家の王位継承の争いや北方民族の脅威などの諸問題を抱えていたので、戦いの勝敗がつかず長期化した。パルティアは長年にわたるローマとの戦闘で国力が衰え、226年ファールス地方に興った新勢力ササン朝ペルシアのアルダシール1世によって滅ぼされた。パルティアは遊牧民の国家であったが、しだいに定住していた農民に同化し、封建社会を形成した。帝国の支配機構はセレウコス朝の体制を継承し、ギリシアとペルシアの影響を受けた文化が栄えた。また東西を結ぶ要地だったので絹貿易の利益が大きく、そのような交易を通じての文化交流の発展を促進させた。

[吉村作治]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

パルティア
(Parthia)
[一] カスピ海の南東、イラン高原北東部地方の古称。
[二] 西アジアにイラン系遊牧民の建てた国。前三世紀なかばに、セレウコス朝シリアの衰退に乗じ、カスピ海南東地方にアルサケスが建国。前二世紀なかばにはユーフラテス川からインダス川にいたる広大な領域を支配したが、二二六年ササン朝ペルシアに滅ぼされた。中国名は安息。

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社世界史事典 三訂版

パルティア
Parthia
前248ごろ〜後226
西アジア,イラン高原を中心に支配した古代王国
セレウコス朝(シリア)の衰退に乗じ,イラン系遊牧民の族長アルサケスがカスピ海南東地方に建てた国で,その王朝をアルサケス朝と呼ぶ。中国ではこれを国名と考え安息 (あんそく) と呼んだ。ミトリダテス1世(在位前171 (ごろ) 〜前138 (ごろ) )のとき,シリアとバクトリアの衰退に乗じて領土を東西に大きく拡張し,中継貿易で栄えた。その後内乱によって衰え,西方の領土はローマ帝国に奪われ,ササン朝によって滅ぼされた。ヘレニズムの影響を受けたが,末期にイラン文化もおこった。首都は初めヘカトンピロス,のちクテシフォン。国内ではギリシア語が公用語とされ,ゾロアスター教が保護された。のちにはミトラ教が流行し,国外にも波及ポンペイウスの東征以後はローマにおいても大流行した。

出典:旺文社世界史事典 三訂版
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