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ハート【はーと】

日本大百科全書(ニッポニカ)

ハート(Sir Robert Hart)
はーと
Sir Robert Hart
(1835―1911)
イギリス外交官。中国名は赫徳(ハート)。2月20日北アイルランドのポートアダウンで、酒造業を営むヘンリー・ハートの長男として生まれる。ベルファストのクイーンズ・カレッジ在学中に、学長クラレンドン伯爵は外務大臣の任にあり、当時香港(ホンコン)総督バウリングが唱導する、中国・日本に強力な領事業務を確立すべしという提案を受け、優秀な学生の選抜を試みた。このとき抜擢(ばってき)されて、1854年香港に派遣され、貿易監督庁に勤務した。その後、イギリスの寧波(ニンポー)領事館の通訳官、広東(カントン)領事館の補佐官、アロー戦争時、広州の連合軍司令部の書記官を務めた。1859年3月広東領事館の通訳官に復帰し、6月には、新設された広東海関の副税務司となった。1863年初代総税務司レイの後を引き継ぎ、1908年に至るまで総税務司として北京(ペキン)にあり、海関業務の拡充のみならず、中国の行政・財政の近代化、さらに対外交渉の仲介などにおいて、重要な役割を果たした。総理衙門(がもん)に付設された同文館(外国語学校)の運営にもあたり、また、1875年には北京および上海(シャンハイ)海関・鎮江(ちんこう)海関に郵政部を付設し、総郵務司を兼任した。1875年の中英芝罘(チーフー)協定、1885年の清仏(しんふつ)戦争、1895年の日清戦争賠償金問題、1900年の義和団事件などにおいて中国と列国との交渉の斡旋(あっせん)を行っている。彼は「局外旁観(ぼうかん)論」「海関金単位採用」「幣制改革案」を論じ、中国の統一と安定を目ざす漸進的改革論を示している。
 1908年4月、1年間の休暇を与えられて帰国したが健康状態が悪化し、1911年9月20日、総税務司に在職のままバッキンガムシャーのマーローで永眠した。清朝滅亡の3週間前であった。[浜下武志]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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