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ノブゴロド

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

ノブゴロド
Novgorod
ロシア北西部,ノブゴロド州州都サンクトペテルブルグの南南東約 170km,イリメン湖北岸近くにあり,湖から流れ出るボルホフ川に臨む。ロシア最古の都市の一つで,年代記の 859年の項に記され,1019年には自治都市となり,ベーチェと呼ばれる民会がノブゴロド公を選挙で選んだ。水路によりバルト海ビザンチン帝国中央アジア,ヨーロッパロシア各地と結ばれる交通の要地であったため,東ヨーロッパの商業,手工業の中心地として栄え,毛皮がその重要な交易品となった。12世紀以降スズダリ,タタール,スウェーデン,ドイツ騎士団などと抗争を続けながらも繁栄したが,14~15世紀新興のモスクワ大公国と争い,しだいに圧迫され,1478年併合された。その後,1570年のイワン4世(雷帝) による市民の大虐殺,1611年のスウェーデンによる占領などで衰退した。18世紀初めピョートル1世 (大帝) によりペテルブルグ (今日のサンクトペテルブルグ) が建設されると,経済・交易中心地としての地位を奪われ,さらなる衰退の一途をたどった。第2次世界大戦中の 1941年8月から 1944年1月までドイツ軍に占領され,大部分が破壊されたが,その後復旧し,ソビエト連邦政府の地域振興政策により新たに発展した。1962年スタブロポリからパイプラインで送られてくる天然ガスをもとに化学工業 (肥料) が始まり,さらに木材加工業なども行なわれるようになるなど工業が発達,住宅地域も拡大した。モスクワとサンクトペテルブルグを結ぶ幹線道路上に位置する交通の要地で,鉄道,道路の分岐点となっている。河港もある。11~16世紀ノブゴロド派と呼ばれる絵画・建築様式の中心地であった市街には,代表的な初期ロシア建築である聖ソフィア大聖堂をはじめ多数の建築記念物,美術品が残され,それら歴史的遺物が集中している地域は 1992年世界遺産の文化遺産に登録された。歴史・考古学博物館,民家博物館などもあり,多数の観光客が訪れる。教育大学がある。人口 21万8724(2010)。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

ノブゴロド(Novgorod/Новгород)
ロシア連邦北西部、ノブゴロド州の都市。同州の州都。正式名称ベリーキーノブゴロド。ボルホフ川沿いに位置する。交通・商業の中心地として発展し、化学などの工業も盛ん。9世紀中頃、リューリクに率いられたノルマン人が建設。当初は公国であったが、12世紀以降に共和制の都市国家となり、1478年モスクワ大公国に併合されるまでハンザ同盟加盟していた。同国有数の古都として知られ、13の塔をもつクレムリン、11世紀の聖ソフィア大聖堂をはじめ、中世の歴史的建造物が数多く残っている。1992年、「ノブゴロドと周辺の歴史的建造物」の名称で世界遺産(文化遺産)に登録された。

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世界大百科事典 第2版

ノブゴロド【Novgorod】
ロシア連邦の同名州の州都。人口23万4000(1993)。10~16世紀に繁栄した北西ロシアの商工業中心地で,キエフやモスクワと並ぶ古都。サンクト・ペテルブルグの南東約180kmの内陸都市であるが,フィンランド湾とロシア平原の諸河川とを結ぶ水路交通の要衝に位置し,ペテルブルグの建設以前にはバルト海によってロシアをヨーロッパに結びつける最も重要な窓口として,経済・文化に特異な地位を占めた。特にキエフ・ロシア,モスクワ・ロシアという二つの統一国家時代のはざまをなす400年間の政治的分裂期(12~15世紀)には,ハンザ同盟によるバルト海貿易を独占する商業都市として繁栄しただけでなく,ロシア史上に例をみない共和政体の〈自由〉都市国家として,政治的にもその最盛期を迎え,多くの歴史家の注目を集める中世ロシア史上の一時代を画した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

ノブゴロド
のぶごろど
Новгород/Novgorod

ロシア連邦北西部、ノブゴロド州の州都で、ロシア有数の古都。人口23万1700(1999)。ボルホフ川の河岸にあり、河港を有する。鉄道の分岐点。古来、交通、商業の中心地として栄え、手工業が営まれてきたが、その後種々の工場が建設され、工業都市としての側面ももつようになった。主要工業は化学、電機、木材加工である。旧市街にはクレムリン(城塞(じょうさい)、11~12世紀)、聖ソフィア寺院(11世紀)、ミロシュ修道院(12世紀)など多数の価値ある歴史的建築物が修復・保存され、多数の外国人観光客が訪れる。この地区は1992年には世界遺産の文化遺産に登録された(世界文化遺産)。総合大学の所在地。

[中村泰三]

歴史

年代記859年の項に初めてその名が現れる。バルト海と黒海とを結ぶいわゆる「ワリャーグ(ノルマン人の意)からギリシアへの道」の北端に位置する。当初キエフ大公の任命する公(多くの場合大公の子かそれに近い縁者)により支配されたが、やがて11世紀末から12世紀初頭にかけて貴族共和制的な体制が成立した。ノブゴロドの最盛期はこの貴族共和制の時代(1136~1478)である。多くの市民が手工業に従事したが、とくに重要なのは商業である。ノブゴロドはウラル山脈に達する広大な領土を支配していたが、ノブゴロド商人はその広大な領土から集められた毛皮をはじめとする森林・海産品をもってハンザ商人や東方商人と盛んに交易した。彼らが「イワン百人組」などのギルドを組織していたことも知られている。これら商人や手工業者を中心とする市民は民会に参加して国政にも参与していた。かくしてこの時期、ノブゴロドはロシアでもっとも栄えた都市となった。だが門閥貴族間の対立、下層市民の蜂起(ほうき)など内的矛盾に悩み、やがて新興のモスクワ大公国によって併合されてしまった。ノブゴロドはその後も商業都市として重きをなしたが、16世紀後半から衰退に向かい、18世紀のサンクト・ペテルブルグ建設以降はその経済的意義もほとんど失われてしまった。

[栗生沢猛夫]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

ノブゴロド
(Novgorod) ロシア北西部、ボルホフ川の両岸にまたがる古都。交通の要地を占め、一二世紀以降、市会をもつ事実上の共和政をとり、一五世紀までハンザ同盟に加盟の都市国家として発展。一四七八年モスクワ大公国に合併された。一八世紀に新都ペテルブルクが建設され衰えた。

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