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ドゥブロブニク

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

ドゥブロブニク
Dubrovnik
クロアチア南部アドリア海に臨む都市。イタリア語ではラグーザ Ragusa。ダルマチア地方の観光中心地。ローマ時代から交易港として繁栄。9世紀に独立し,1205~1358年にはベネチアに従属したが,その間もその後も常に実質的な独立を保ち,地中海屈指の商港として栄えた。 16世紀にはアメリカ大陸,インドとも交易。 15~17世紀にはイタリア・ルネサンスの影響のもと独自の文芸が興隆し,「南スラブのアテネ」と呼ばれた。短期間のフランスの支配 (1808~15) ののち,オーストリア支配を経て,1918~91年旧ユーゴスラビア領。歴史的建造物の多いルネサンス後期の美しい町並みが城壁 (14~16世紀) に囲まれて残る旧市街は,1979年世界遺産の文化遺産に登録。沖合いのロクルム島はオレンジの森と美しい庭園で知られる。ワイン,オリーブ油などを産する。人口7万 676 (1991推計) 。

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デジタル大辞泉

ドゥブロブニク(Dubrovnik)
クロアチア最南部のアドリア海に面した都市。13世紀に自治都市となり、15~16世紀に最盛期を迎えた。堅固な城壁に囲まれた旧市街には、後期ゴシックルネサンスの両様式を取り入れた歴史的建造物が多く残されており、「アドリア海の真珠」と称えられる。内戦で多くの文化財が破壊されたが、市民の手によって忠実に復元された。総督邸や大聖堂のある旧市街は、1979年に世界遺産(文化遺産)に登録された。ドブロブニク

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世界大百科事典 第2版

ドゥブロブニク【Dubrovnik】
クロアチア南部,ダルマツィア海岸にある都市で,同国最大の観光地。イタリア名ラグーザRagusa。人口5万(1991)。 町の起源は,7世紀初頭にスラブ人によって破壊された近郊のローマ都市からの逃亡者が,現在市を二分するストラドゥン大通りの南部(当時は小島)へ定着し,ラグシウムRagusiumと名づけたことにさかのぼる。対岸の大陸部に住みついたスラブ人はオーク(ドゥブ)にちなんで自領を〈ドゥブロブニク〉と称したらしい。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

ドゥブロブニク
どぅぶろぶにく
Dubrovnik
クロアチア共和国南部の都市。ダルマチア地方最南部に位置する。同国最大の観光都市で、港がある。人口4万3770(2001)。背後には300~1000メートルの石灰岩の山地が迫り、町は海に突き出た岬の表面を覆うように位置している。南東の湿風シロッコや北風ボラの影響をほとんど受けない。城塞(じょうさい)都市で、中世の町の姿をほぼ完全に残しており、「アドリア海の真珠」と称され、1979年には世界遺産の文化遺産(世界文化遺産)に登録された(1994年に再登録)。16世紀のスポンザ宮、総督宮、市庁舎、市壁、バロック様式の大聖堂、ロマネスク様式のフランチェスコ派教会などがあるが、1667年の大地震ののち一部改修した建物も多い。食品加工、化学工業もあるが、産業の主力は観光である。毎年夏に水準の高い芸術祭が開催される。[漆原和子]

歴史

7世紀にビザンティン帝国の都市として建設され、ラグーザRagusaとよばれたが、10世紀ごろにはすでに南スラブ人(主としてクロアチア人)の都市になる。13世紀初めまでビザンティン帝国の支配下に置かれ、1358年まではベネチア、その後はハンガリーの領土に組み込まれたが、海運業が栄え、商業活動で富を蓄えた。オスマン帝国の進出に際し、租税を払うことによって独立を獲得した。ドゥブロブニク共和国として、バルカン内陸部と地中海地域との交易で栄え、「リベルタス(自由)」の標語を掲げた。1667年大地震に襲われ、壊滅的な打撃を受けるが復興。1806年にナポレオンが占領し、「イリリア諸州」として統治した。ナポレオン敗退後オーストリア領となり、第一次世界大戦後ユーゴスラビア王国領となった。1991年、クロアチアは旧ユーゴスラビアから独立した。クロアチア内戦(1991~1995)当初、町の一部が爆撃をうけたが、内戦終結後に修復と復旧がなされた。[柴 宜弘]

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