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ショーペンハウアー

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

ショーペンハウアー
Schopenhauer, Arthur
[生]1788.2.22. ダンチヒ(現グダニスク)
[没]1860.9.21. フランクフルトアムマイン
ドイツの哲学者。厭世思想の代表者。父は銀行家,母は小説家で,幼時より父に伴われてイギリス,フランス,スイス,オーストリアを旅行した。父の死後,1809年ゲッティンゲン大学に入学,11~13年ベルリン大学でフィヒテの講義を聞いた。 14年母とけんか別れをし,以後,終生,互いに会おうとしなかった。 20年ベルリン大学講師となったが,ベルリンの哲学界はヘーゲルの支配下にあり,まもなく辞任,以後,在野の学者として,22~31年イタリア,ミュンヘン,ベルリンに住んだのち,31年以降フランクフルトアムマインに定住,また生涯,独身を通した。彼はカントの思想から多くをくみ,みずからカントの後継者をもって任じたが,生前は不遇で,51年『付録と補遺』 Parerga und Paralipomenaでようやく世間の注目を集めた。しかし 19世紀末のヨーロッパにおいて,彼の主意説と,東洋ことにインドの仏教思想と相通じる独特の厭世観とは広く顧みられるにいたり,ニーチェ,ワーグナーらに大きな影響を与えた。 1911年ショーペンハウアー協会が設立され,翌年から年報が刊行されている。主著意志表象としての世界』 Die Welt als Wille und Vorstellung (1819) ,『自然における意志について』 Über den Willen in der Natur (36) など。

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デジタル大辞泉

ショーペンハウアー(Arthur Schopenhauer)
[1788~1860]ドイツの哲学者。世界は自我の表象であり、その根底にはたらく盲目的な生存意志は絶えず満たされない欲望を追求するために人生は苦になると説き、この苦を免れるには意志否定によるほかはないと主張した。主著「意志と表象としての世界」。ショーペンハウエル

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世界大百科事典 第2版

ショーペンハウアー【Arthur Schopenhauer】
1788‐1860
この世界は考えうるかぎりの最悪の世界だというペシミズムを説いたドイツの哲学者。ハンザ同盟の自由都市ダンチヒ(現,ポーランド領グダンスク)に生まれる。父ハインリヒ・フローリスは富裕な商人,母ヨハンナはゲーテとも親交のあった著名な文筆家であった。自由な世界市民として育てようという両親の方針から,幼時より父にともなわれてフランスやイギリスに旅行し,その地で教育も受けた。父の死後その遺志に従って商人の見習いをはじめたが,学問への情熱を断ち切れず,1809年からゲッティンゲン大学でカントとプラトンの研究に没頭,11年にはベルリン大学に移ってフィヒテやシュライエルマハーの講義を聴くが不満を抱く。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

ショーペンハウアー【Arthur Schopenhauer】
1788~1860) ドイツの哲学者。物自体としての世界は表象ではなく、生への盲目的意志であるが、人間生活においては他の意志によって絶えず阻まれるため、人生は苦痛となるから、この苦を免れるには芸術的天才や意志否定によるほかはないと説いた。主著「意志と表象としての世界」

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日本大百科全書(ニッポニカ)

ショーペンハウアー
しょーぺんはうあー
Arthur Schopenhauer
(1788―1860)
19世紀ドイツの厭世(えんせい)思想家。[佐藤和夫]

生涯

グダニスク(ダンツィヒ)で富裕な銀行家のもとに生まれ、生涯生活の心配なく暮らした。幼少期からイギリス、フランスなどヨーロッパ諸国を旅行し、それが彼の世界観・芸術観にも影響している。また、女流作家である母ヨハンナJohanna Schopenhauer(1766―1838)との不和・対立は有名で、彼独特の女嫌いと女性蔑視(べっし)の考えの一因になっている。父の死後、1809年よりゲッティンゲン大学で歴史・自然科学を、ほかに懐疑主義者シュルツェGottlob Ernst Schulze(1761―1833)について哲学を学んだ。そこで学んだプラトンとカントの思想はインドのベーダーンタ哲学と並んで、彼の哲学体系を構成する基本的な枠組みとなっている。学位論文『充足理由律の四つの根拠について』(1813)や、ゲーテの色彩論に刺激された『視覚と色彩について』といった著作を完成しているが、なんといっても主著は『意志と表象としての世界』(1819)である。20代後半から30歳にかけて書かれたこの著作に彼の後生のすべては捧(ささ)げられたといって過言ではない。しかし、この主著は、当時かならずしも高い評価を得ず、自信をもっていた彼はひどく失望した。とはいっても、この著作がきっかけとなって、彼はベルリン大学の私講師となった。当時、ベルリン大学はヘーゲルの人気が頂点に達していたが、ショーペンハウアーは、わざとヘーゲルの講義と同じ時間に講義を開くという告知を出した。結果は惨めなもので、ヘーゲルの講義は満員であったが、ショーペンハウアーの講義は成立しなかった。彼が世に認められるようになったのは1851年の『余録と補遺』(邦訳書は『自殺について』『読書について』『知性について』などとして出版)と名づけられる晩年の著作によってであるが、この評価の高まりは、1848年の三月革命の敗北によるドイツでのある種の閉塞(へいそく)状況に対応するものであった。日本でも戦前の重苦しい雰囲気のなかで「デカンショ」といって、デカルト、カントと並んでショーペンハウアーが学生たちに読まれたのも、戦争に突き進む日本の暗い現実を抜きには考えられない。[佐藤和夫]

思想と影響

ショーペンハウアーによれば、世界とは「わたしの表象」であり、現象にほかならない。つまり、主観である意志に対応する客観としてのみ、世界が存在する。時間・空間・因果関係においてある現象に対して、カントのたてた物自体とは実は意志そのものにほかならない。それは「生きんとする盲目的意志」であり、満たされない欲望を追求するがゆえに、生とは苦痛なのである。彼によれば、人類の歴史、時代の変転などの人間の多様な形態は、意志の適切な客体性であるイデアを読み取りうる限りで意味をもつのであって、それ自体においてはどうでもよいものである。このイデアを認識しうるのが芸術であり、なかでも音楽は、意志を直接にイデアという媒介なしに客観化するという点で卓越している。しかし、芸術による生の苦痛からの解脱(げだつ)は一時的なものでしかない。そこで生の苦痛から解脱するには、意志の否定によって無私の行為へと向かい、梵我一如(ぼんがいちにょ)の境地、涅槃(ねはん)の境地へ達するという倫理の次元こそが、真に求められるものである。[佐藤和夫]
『西尾幹二訳「意志と表象としての世界」(『世界の名著45 ショーペンハウアー』所収・1980・中央公論社) ▽斎藤忍随訳『読書について』(岩波文庫) ▽細谷貞雄訳『知性について』(岩波文庫) ▽斎藤信治訳『自殺について』(岩波文庫)』

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