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シェーンベルク

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

シェーンベルク
Schönberg, Arnold
[生]1874.9.13. オーストリア,ウィーン
[没]1951.7.13. アメリカ合衆国,カリフォルニア,ロサンゼルス
オーストリア生まれのアメリカ合衆国の作曲家。20世紀前半において,最も影響力の強かった作曲家の一人。無調音楽の追究から 12音技法を確立した(→12音音楽)。作曲理論をアレクサンダー・ツェムリンスキーに師事。その創作活動はほぼ次の 3期に分けて考えられる。(1) 第1期(~1907) 後期ロマン派の傾向をもつ作品を発表。弦楽六重奏曲『浄夜』(1899),交響詩『ペレアスとメリザンド』(1902~03)など。(2) 第2期(1908~21) 無調の時代。モノドラマ『期待』(1909),『月に浮かれたピエロ』(1912)など。1918~21年「私的演奏協会」を組織し,新しい音楽を紹介。(3) 第3期(1922~51) 12音技法を中心とした作品を発表。オペラ『今日から明日まで』(1928~29,1930初演),『モーゼとアロン』(1930~未完),『バイオリン協奏曲』(1934~36),『ワルシャワの生き残り』(1947)や室内楽作品など。1933年にはナチスのユダヤ人迫害により,アメリカへ亡命。カリフォルニア大学で教鞭をとりながら作曲活動を続けた。1941年アメリカの市民権を取得。著書に『和声楽』Harmonielehre(1911)などがある。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

シェーンベルク(Arnold Schönberg)
[1874~1951]オーストリアの作曲家。後期ロマン派の影響を受け、無調音楽十二音音楽という理論を打ち立てた。1933年、米国へ亡命。作品に「浄められた夜」「月に憑かれたピエロ」など。

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ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)

シェーンベルク
20世紀の西洋音楽に最も大きな影響を及ぼしたとされる作曲家の一人。ウィーン生まれのユダヤ人。少年時代よりヴァイオリンやチェロに親しみ、音楽の素養を深く身に着けるが、作曲は1894年に知り合ったツェムリ ...続き

出典:(社)全日本ピアノ指導者協会

世界大百科事典 第2版

シェーンベルク【Arnold Schönberg】
1874‐1951
オーストリアの作曲家。弟子のベルクやウェーベルンと共に第2次ウィーン楽派と呼ばれ,また十二音技法を創案して20世紀の音楽に大きな影響を与えた。 ウィーンのユダヤ人商人の子として生まれ,子どもの頃からバイオリンやチェロを学ぶ。作曲は1894年に知り合ったツェムリンスキーに数ヵ月学んだほかは独学であった。1891‐95年銀行に勤めたがその後作曲に専念。99年の弦楽六重奏曲《浄夜》は後期ロマン派の延長線上に独自の音楽を打ち立て,初期の代表作となった。

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大辞林 第三版

シェーンベルク【Arnold Schönberg】
1874~1951) オーストリアの作曲家。後期ロマン派の影響下に出発。のち無調に転じ、十二音技法を確立。1933年アメリカに亡命。作品「浄夜」「グレの歌」「月に憑かれたピエロ」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

シェーンベルク
しぇーんべるく
Arnold Schnberg
(1874―1951)
オーストリアの作曲家。弟子のベルクおよびウェーベルンとともに「新ウィーン楽派」「第二次ウィーン楽派」を形成し、とくに「十二音音楽」という新しい技法による音楽を創造して、20世紀の芸術音楽の展開に決定的な影響を与えた。
 1874年9月13日、ウィーンのユダヤ人商人の家庭に生まれる。早くから音楽に興味をもち、9歳のときにまったく独学で最初の作曲を試みた。91~95年、銀行に勤めるかたわら、アマチュア・オーケストラのチェロ奏者として活躍し、そのオーケストラの指揮者ツェムリンスキーAlexander von Zemlinsky(1872―1942)に数か月対位法を学んだ。この数か月のレッスンを唯一の例外として、彼は独学で本格的な創作活動を開始し、ブラームスやワーグナーなど後期ロマン派音楽の圧倒的な影響を受けながら、リヒャルト・デーメルの世紀末的題材によるテキストを新しい対位法の感覚で処理した『浄(きよ)められた夜』(1899)を発表した。その後一時ベルリンに居を移し、文芸キャバレーの指揮者や音楽学校の教師を勤めながら作曲活動を続け、弦楽四重奏曲第1番(1905)、室内交響曲(1906)などで、表現主義的な無調音楽という独特の音楽様式を確立していった。初期のスタイルの代表作は、アリベール・ジローの詩による『月に憑(つ)かれたピエロ』(1912)である。ここではソプラノと5人の室内楽奏者が、歌と語りの中間の「シュプレッヒゲザング」という新しい声の技法と、長調、短調など調性の中心音を感じさせない無調の技法によって、「夜」と「血」のイメージを描き出し、この作品によってシェーンベルクの作曲家としての名声は決定的なものになった。
 『月に憑かれたピエロ』以後は、彼自身のことばによると、「調性という手段に頼らずに、堅牢(けんろう)な形式と統一性を獲得することができるか」という問題を追求し、五つのピアノ曲(1920)、セレナーデ(1923)、ピアノ組曲(1923)の三つの作品で、「相互の間にのみ関連づけられる12の音による作曲技法」、すなわち「十二音技法」をつくりだした。この新しい作曲技法は、バッハ以来の西洋音楽の合理的な音楽語法を組み替えたもので、シェーンベルクはこの音楽の新しい「知の体系」によって、精緻(せいち)な音の秩序をもつ傑作『オーケストラのための変奏曲』(1928)を書いた。ヒトラーに追われて1933年アメリカに渡った彼は、ロサンゼルスに居を定め、36年以降カリフォルニア大学で教授活動のかたわら作曲を続け、41年にはアメリカの市民権を得ている。この時代の作品には『ナポレオンへのオード』(1942)や『ワルシャワの生き残り』(1947)など、ナチズムに対する激しい抗議の音楽がある。51年7月13日ロサンゼルスで没した。[船山 隆]
『W・ライヒ著、松原茂他訳『シェーンベルク評伝』(1974・音楽之友社) ▽R・レイボヴィッツ著、船山隆訳『シェーンベルク』(1974・白水社)』

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精選版 日本国語大辞典

シェーンベルク
(Arnold Schönberg アルノルト━) オーストリアの作曲家。ウィーンに生まれ、後期ロマン派の作曲家として出発したが、無調音楽を経て十二音音楽の技法を創始し、現代音楽の第一人者となった。一九三三年ナチスを避けて亡命し、アメリカに移住。代表作の交響詩「ペレアスとメリザンド」、弦楽器六重奏曲「浄夜」、オペラ「モーゼスとアーロン」(未完)などのほか、独自の「和声楽」の著がある。(一八七四‐一九五一

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