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ザカルパトスカヤ【ざかるぱとすかや】

日本大百科全書(ニッポニカ)

ザカルパトスカヤ
ざかるぱとすかや
Закарпатская Область Zakarpatskaya Oblast'
ウクライナ西部の州。東カルパティア山脈南西斜面に位置し、スロバキアに接する。英語名トランスカルパティア州Transcarpathian Oblast。面積1万2800平方キロメートル、人口125万8300(2001)。州都ウジュゴロド。州土の半分は森林に覆われ、南西部の平野では小麦、トウモロコシ、ビートなどの農業が営まれる。褐炭、岩塩などの地下資源があり、木材などの工業も行われる。[稲野 強]

歴史

中世初期から第一次世界大戦終了時の1918年までハンガリーに所属していた地域で、18年チェコスロバキア政府は大部分がルテニア人(ウクライナ人)からなるこの地域の自治を保障したが、37年まで実施をみなかった。トリアノン条約(1920)によりチェコスロバキアへの編入が承認され、ルテニアRuthenia、カルパティア・ルテニアCarpathian Ruthenia、サブ・カルパティア・ルテニアSub Carpathian Ruthenia(チェコ語でPodkarpatsk Rus)、カルパティア・ロシアCarpathian Russiaなどさまざまな名称で知られた。38年9月のミュンヘン協定の結果、チェコスロバキアの分割に伴ってこの地域はスロバキアと並び大幅な自治を認められ、カルパト・ウクライナCarpatho-Ukraine(チェコ語でKarpatsk Ukraina)の名称となり、39年3月14日にはスロバキアに倣って完全な独立を宣言した。しかし翌15日、ドイツがチェコ=スロバキア(第二共和国)を解体させると、ハンガリーが、第一次世界大戦後スロバキアの一部を失った代償として、この地域を自国に併合した。第二次世界大戦末期の44年10月、ソ連軍によってこの地域は解放され、翌45年6月29日のソ連・チェコスロバキア条約でソ連に割譲された。さらに46年1月22日のソ連最高会議幹部会令により、この地域はザカルパトスカヤ州としてウクライナ共和国に編入された。[稲野 強]
『矢田俊隆著『ハンガリー・チェコスロヴァキア現代史』(1978・山川出版社) ▽ピエール・ボヌール著、山本俊朗訳『チェコスロヴァキア史』(1969・白水社)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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