Rakuten infoseek

辞書

サライ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

サライ
Sarai
キプチャク・ハン国の首都。中国史料には薩莢と音写される。旧サライ (サライ・バトゥ) と新サライ (サライ・ベルケ) とがあり,前者はキプチャク・ハン国の創建者バトゥ (抜都)が,後者はその弟ベルケが建設したもので,両者ともボルガ川下流にある。 19世紀なかば以来数回の発掘が行われ,現在も続けられている。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉

サライ(〈ペルシア〉sarai)
宿。旅の宿。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉プラス

サライ
株式会社小学館が発行する男性シニア誌。旅、食、人物文化服飾品に関する情報を紹介。毎月10日発売。

出典:小学館
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版

サライ【Sarāi】
13~14世紀のキプチャク・ハーン国の首都で,新・旧二つの同名の都市があった。中国史料では薩萊で知られる。旧サライはボルガ川の支流アフトゥバ河岸に位置し,バトゥ(在位1227‐55)の建設にかかり(バトゥ・サライ),彼はここを首都と定めた。新サライはこのやや上流にベルケ(在位1255‐66)によって建設され(ベルケ・サライ),ウズベク(在位1312‐42)の初期に新しい都となった。両都市とも政治都市であると同時に東ヨーロッパ,西アジア,中央アジアを結ぶ交易網のうちの要地にあたり,商業都市として栄え,13世紀の旅行家イブン・バットゥータはそのようすを伝えている。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

日本大百科全書(ニッポニカ)

サライ
さらい
Sarai
13、14世紀のキプチャク・ハン国の首都。サライは宮殿の意。新旧の二つがある。旧サライはキプチャク・ハン国の創始者バトゥが建てたもので、その遺跡はボルガ川下流域のアストラハン市に近いセリトレンノエ村にある。しかし、有名なのはバトゥの弟ベルケが建てた新サライであって、その遺跡はボルガ川河畔で、旧サライよりも上流の一支流アフトバ川河畔のボルゴグラード市の傍らに位置する。新サライが首都となったのは第9代のウズベク・ハンのときである。サライ市は1395年にティームールの軍隊に破壊され、15、16世紀にモスクワ大公国の侵入によって廃墟(はいきょ)と化した。新サライは1843~47年に初めて発掘され、その後の発掘によって、キプチャク・ハン国時代の宮殿、モスク、手工業工場、水道装置遺跡のほか、銅鉄製品、陶磁片、ガラス器、農産物、皮革製品が大量に出土し、当時の都市生活、物質文化、商工業の姿をよく伝えている。[佐口 透]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

精選版 日本国語大辞典

サライ
(Sarāi) (ペルシア語で宮殿の意) キプチャク‐カン国の首都。旧都はボルガ川の下流に、新都はその上流に建設された。一四世紀に栄えたが一五世紀チムール軍、一六世紀ロシア軍の攻撃を受けて破壊された。薩来

出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

サライ」の用語解説はコトバンクが提供しています。

サライの関連情報

他サービスで検索

「サライ」のスポンサー検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE GROUP, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.