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ゴア【ごあ】

日本大百科全書(ニッポニカ)

ゴア(インド)
ごあ
Goa
インド南西部の中央政府直轄地区。アラビア海に面し、マハラシュトラ州とカルナータカ州に接する。ゴア島とこれに接する南北104キロメートルの海岸地帯からなり、行政区上、ダマンDaman、ディウDiuとともに直轄地区を構成する。中心地はパナジー。直轄地区全体の面積は3702平方キロメートル、人口134万3998(2001)。主穀として米、小麦、ココナッツを生産し、マンガン、鉄鉱石、ボーキサイトが輸出される。バスコ・ダ・ガマには大精油所がある。漁業も盛んで、漁獲高は年間4万6000トンに上る。マルマガオはムンバイ(ボンベイ)と並ぶインド有数の貿易港であり、輸出高ではインド第1位を誇る。16世紀初頭以来、ポルトガルの東洋貿易の根拠地として繁栄を極め、市民生活のなかにラテン文化の浸透が著しい。美術、商業、理工など各分野のカレッジが9校あり、識字率も他の地域に比して高い。人口の36%はカトリック教徒である。ゴア大聖堂は旧ポルトガル帝国で最大の規模を誇り、聖フランシスコ・ザビエルの霊が祀(まつ)られている。ほかにサンタ・モニカ修道院、聖アントニー教会などがあり、ポルトガル領時代の景観を今日に伝えている。言語は公用語としてマラーティー語、コーンカニー語が話される。[米田 巌]

歴史

すでに紀元前4~前2世紀にマウリア朝の支配下にあった。1347年ビジャヤナガル王国の領地となったが、1489年にアーディル・シャーヒー朝下に移った。
 1498年にバスコ・ダ・ガマがコジコーデ(カリカット)近くに上陸し、1510年ポルトガル総督アルブケルケがゴアに入った。ゴアのキリスト教化は1542年のザビエルの到来によって加速された。この間ポルトガルはカンベイ湾口のダマンやディウを占領し、マラータ王国軍との衝突を繰り返した。領土内住民の反乱も多く、450年間のポルトガル支配下で40件の武装蜂起(ほうき)があった。1852年と95年のラーネー人による反乱はもっとも有名である。
 1910年のポルトガルにおける共和制の成立でゴアは部分的自治を得たが、26年の反革命により圧政は強化された。30年にはイギリス領インド内の民族運動の影響でT・B・クンハーらによるゴア会議派委員会が設立され、インド国民会議派との連携のうえで活動が進められた。46年にはインドの社会主義者R・M・ローヒアがゴアに入り、その指導でゴア国民会議派が結成された。ポルトガルはこれらの動きを徹底的に弾圧した。インド独立の47年8月以降ポルトガルはゴア人懐柔策に出たが、住民は非暴力抵抗運動を展開した。53年にはゴア行動委員会が設立され、ゴア外の多くの人々も加わってふたたび抵抗運動を継続した。これらのゴア解放闘争に対しポルトガルは無差別の大量虐殺によって応じたが、このあと自由ゴーマンタク党やゴア解放軍などが次々結成され、ゲリラ戦を含む長い闘争に入った。
 1961年、ポルトガル軍のインド船への発砲をきっかけに、12月16日インド軍が首都パナジーに進入し、ゴアは解放された。62年6月からゴアはダマン、ディウとともに中央政府直轄地区となった。[内藤雅雄]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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