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コーチシナ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

コーチシナ
Cochin China
ベトナム南部,メコン川デルタを中心とする地域をさすのに,主として外国人によって用いられた呼称。ベトナム人自身は,この地域をナムキ (南圻) またはナムボ (南部) と呼ぶ。もともとコーチの名は,前2世紀以来,中国人がベトナム北部をさすのに用いたことに始るが,現在の南部を呼ぶようになったのは,この地を訪れたポルトガル人がここをコーチンと呼び,インドのコーチン Cochinと区別するため China Cochinとしたことによる。その後語順が逆にされ,Cochin Chinaと呼ばれるようになった。この地域は,もともとカンボジアの支配領域であったが,17世紀以来ベトナム人が次第に勢力を伸ばし,18世紀からは全域を支配下におくにいたった。しかし 19世紀後半にはフランスの侵略を受け,1945年までその植民地となった。フランスの統治時代に,メコン川デルタ地域で水田が,また中部寄り山地でゴムのプランテーションが開かれ,農業開発が進んだ。

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世界大百科事典 第2版

コーチシナ【Cochinchina】
フランス領インドシナ連邦のうち,南部の直轄植民地の名称。またクアンナム(広南)朝をアンナン(安南)王国と区別してコーチシナ王国と呼んだこともある。現在のベトナムでは全く使われず,ナムボ(南部),ナムファン(南分),ナムキ(南圻),ミエンナムなどと呼ぶ。コーチシナは本来,マレー人がベトナムを指してクチKuchiと呼んだのを,1502年ポルトガル人がKuchim,Kuchinと借用し,これをインドのポルトガル植民市コーチンCochim,Cochinと区別するためにChinacochimとしたことによる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

コーチシナ
こーちしな
Cochinchina
漢字では「交趾支那(こうちしな)」をあてるが、この地名がさす地理的範囲は時代によって異なる。その起源は、16世紀初めポルトガル人が極東に進出したのち、ベトナムの古名が交趾(こうち)であることから、インドのポルトガル領コーチンCochinと区別するために使い始めたものと思われ、当初は黎(れい)朝治下の北ベトナムをさした。17世紀初年、鄭(てい)、阮(げん)両氏の対立抗争が始まると、コーチシナは阮氏の支配するベトナム中部をさすようになり、阮氏勢力の南下に伴い、南ベトナムをも含めてさすようになった。その範囲は、ほぼ明(みん)・清(しん)時代中国商人のいう「広南国」、日本御朱印船商人のいう「交趾国」または「河内(こうち)国」にあたる。これに対して、鄭氏勢力下の北ベトナムは中国、日本商人から「東京(トンキン)」とよばれ、ポルトガル、オランダの商人もこれに倣ってトンキンとよんだ。19世紀の80年代からフランスが阮朝治下のベトナムに対する保護権を行使するに及び、ベトナム北部はトンカンTonkin、中部はアンナムAnnam、南部はコシャンシーヌCochinchineとよばれるようになり、トンカンは保護領、アンナムは保護国、コシャンシーヌは植民地として、カンボジア、ラオスとともにフランス領インドシナを形成することとなった。こうして、フランス時代(1887~1945)を通じてコシャンシーヌ(コーチシナ)はもっぱら南ベトナムをさした。[陳 荊 和]

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