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コンスタンチヌス

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

コンスタンチヌス
Constantinus, Flavius Claudius
[生]?
[没]411.9. アレラテ
西ローマ皇帝僭称者 (407~411) 。 407年ブリタニアのブリテン人軍隊に推され大陸に侵入,東ガリアを占領。一時ローマの将軍サルスに敗れ捕えられたが,のち南フランスのアルルで再起。ヒスパニアにいる西ローマ軍隊も彼に合流。 408年ローマの名将 F.スチリコ死後,イタリアに侵入,西ローマ皇帝ホノリウスに共治者たることを認めさせた (409) 。ところがヒスパニア軍隊がゲロンチウスを皇帝として推し立てたので混乱が深まり,彼は西ローマの将軍コンスタンチウス (のちの3世) に捕えられて殺された。

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コンスタンチヌス
Constantinus
[生]?. シリア
[没]715.4.9. ローマ
シリア出身の第88代教皇在位 708~715)。不服従の態度を示すラベンナの大司教フェリクスに対し,ローマの至上性を堅持した。巡礼をしていたマーシア王国の国王チェンレッドを迎え入れ,王はのちにローマで修道士となった。692年にビザンチン皇帝ユスチニアヌス2世(在位 685~695,705~711)が招集したトルッロ教会会議で制定された,ローマの習慣と異なる教会法に断固反対した。710年に皇帝からコンスタンチノープルへ招かれ盛大に迎えられたが,それは皇帝がトルッロ教会会議の承認を期待したためと考えられる。711年にユスチニアヌス2世が暗殺されると,皇位奪したフィリピクス・バルダネス(在位 711~713)を,異端キリスト単意説の支持者だとして非難した。まもなく皇帝アナスタシウス2世(在位 713~715)が登位し正統性を回復したため,問題は収束した。

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大辞林 第三版

コンスタンチヌス【Constantinus】
(一世)280頃~337 古代ローマ皇帝(306~337)。大帝。宗教寛容政策をとりミラノの勅令を発しキリスト教を公認、ニカイア公会議を開きキリストの人性と神性をめぐる教義論争を調停。首都をローマからビザンチウムに移し、身分制の強化、軍制の改革など専制確立に努め、帝国再建を図った。

出典:三省堂
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