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コンコルド広場【コンコルドひろば】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

コンコルド広場
コンコルドひろば
Place de la Concorde
フランス,パリの中心部セーヌ川右岸,チュイルリー公園シャンゼリゼ通りの間にある方形の広場。1辺は約 250m。南はセーヌ川に,北はマドレーヌ聖堂に面する。 1748年ルイ 15世の命により A.ガブリエルが設計。広場中央に E.ブーシャルドン作のルイ 15世騎馬像をおき,まわりにはパビリオンや高欄を設けて「ルイ 15世広場」と呼ばれた。大革命時代の 92年,王の像はこわされて石膏の自由像が代って立ち,名称も革命広場と改められ,ルイ 16世,マリー・アントアネットら三千数百人がここに設けたギロチンにより処刑された。 1831年,エジプトからルイ・フィリップに贈られたルクソールオベリスクを中央に建立。 54年 J.イトルフの案に基づき,現在の形に整えられた。

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デジタル大辞泉

コンコルド‐ひろば【コンコルド広場】
パリのセーヌ川右岸シャンゼリゼ通りの東端に位置する広場。フランス革命中はギロチンが設けられ、ルイ16世らが処刑された。

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世界遺産情報

コンコルド広場
凱旋門からまっすぐシャンゼリゼ大通りが延び、その先にコンコルド広場があります。広場は八角形になっており、8つの隅にはフランスの8大都市を表す8つの女神像が置かれています。広場の中心にそびえるオベリスクのあたりからは、エトワール凱旋門、カルーゼルの凱旋門、ラ・デファンスの新凱旋門が見渡せ、マドレーヌ教会やブルボン宮といった歴史的建造物も一望のもとに見渡せます。フランス革命後には「革命広場」と呼ばれ、18世紀末、マリー・アントワネットをはじめ多くの命が断頭台の露と消えたのもこの広場でした。

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世界大百科事典 第2版

こんこるどひろば【コンコルド広場】

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大辞林 第三版

コンコルドひろば【コンコルド広場】
パリ市の中央部、セーヌ川北岸にある広場。一八世紀後半に建設。フランス革命中にはギロチンが設けられ、マリー=アントワネットらが処刑された。1836年エジプトから運んだオベリスクが立つ。

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世界の観光地名がわかる事典

コンコルドひろば【コンコルド広場】
フランスの首都パリの中心部にある広場。チュイルリー公園とシャンゼリゼ通りの間にある。広場中心には、エジプトのルクソール神殿から運んできたオベリスクが建っている。地下鉄コンコルド駅が最寄り駅となっている。フランス革命前には、この広場にルイ15世の騎馬像が置かれていたため「ルイ15世広場」と呼ばれていたが、革命後、この騎馬像は撤去されて「革命広場」と呼ばれるようになった。1794年のフランス革命終結時に、ルイ16世やマリーアントワネットをはじめ大勢の人々のギロチンによる処刑が行われた広場でもある。この広場には、この処刑を記したプレートが設置されている。◇現在の「コンコルド広場」という名称が使われ出したのは革命直後の1795年ごろで、1830年に正式な広場の名称となった。

出典:講談社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

コンコルド広場
こんこるどひろば
Place de la Concorde
フランスの首都パリの中央部、セーヌ川右岸第8区にある広場。東西360メートル、南北210メートルの方形で、パリ市内最大の広場である。南はセーヌ川に臨み、コンコルド橋によって対岸の下院(ブルボン宮)に通じ、北はロアイヤル通りが延び、マドレーヌ教会の正面と対峙(たいじ)している。東はチュイルリー庭園、西はシャンゼリゼ大通りに通ずる。中央に、1836年エジプトのルクソールから移したオベリスクが立ち、それを挟んで南北に噴水が、周囲にフランスの諸都市を象徴する女神像が配置され、均整のとれた広場となっている。広場は1757~63年ガブリエルによって建設され、72年までルイ15世広場、92年レボリュシオン(革命)広場、95年コンコルド(和合の意)広場と改称され、一時ルイ15世広場に復したこともあるが、1830年以来現名となっている。フランス革命中はギロチン(断頭台)が設けられ、ルイ16世、マリ・アントアネットをはじめ多くの名士の処刑が行われた舞台として有名である。この広場を含むパリのセーヌ川の河岸は1991年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。[高橋 正]

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精選版 日本国語大辞典

コンコルド‐ひろば【コンコルド広場】
パリの中央部、セーヌ川の右岸にある広場。一八世紀後半にルイ一五世の命で建設されたもので、中央に王の像とエジプトから贈られたオベリスクが立ち、ルイ一五世広場と呼ばれた。フランス革命ではルイ一六世がギロチンにかけられ、革命広場と呼ばれたが、一八三〇年現在名に改められた。

出典:精選版 日本国語大辞典
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