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ケクレ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

ケクレ
Kekule von Stradonitz, (Friedrich) August
[生]1829.9.7. ダルムシュタット
[没]1896.7.13. ボン
ドイツの化学者。本名 Friedrich August Kekulé。建築家志望でギーセン大学に入学した (1847) が,J.リービヒ講義を聞いて化学に転向 (49) ,リービヒに師事。その青年時代に当時の第一線の化学者,J.デュマ,C.ウュルツ,C.ゲルハルト,A.ウィリアムソンなどの講義を聞き,あるいは親交を結び,強い影響を受けた。ハイデルベルク大学講師 (56) ,ベルギーヘント大学教授 (58) を経て,ボン大学教授 (65) 。実験的基礎に基づいて有機化学の理論を展開し,炭素が4価であり,炭素同士が連鎖状に結合するとして古典有機化合物構造論の基礎を築き (58) ,有名なベンゼン核ケクレ式を提出し (65) ,芳香族化合物の化学の基礎を築いた。また雷酸水銀,不飽和酸,チオ酸についての重要な研究もある。主著『有機化学教科書』 Lehrbuch der organischen Chemie (59~87) は第4巻第1部まで刊行されたまま未完に終った。

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デジタル大辞泉

ケクレ(Friedrich August Kekulé von Stradonitz)
[1829~1896]ドイツの化学者。原子価論を発表。また、ベンゼン環状構造式を解明するなど、有機化学の飛躍的発達を促した。

出典:小学館
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世界大百科事典 第2版

ケクレ【Friedrich August Kekule von Stradonitz】
1829‐96
ドイツの化学者。炭素化合物分子構造を明らかにすることによって,古典的有機化学構造論の基礎を確立した。すなわち,1858年炭素原子が4価の元素として結合し,炭素原子が連係して鎖状をつくること,さらに,65年ベンゼン分子が六角形の環状をつくることを示し,化学構造の認識を発展させた。ヘッセンのダルムシュタットに,軍事参議官の子として生まれる。はじめ建築家を志し,ギーセン大学の建築科に進んだが,たまたま聴講した化学でJ.F.vonリービヒ教授の講義に魅せられ,周囲の反対を押し切り化学に進んだ。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

大辞林 第三版

ケクレ【Friedrich August Kekulé von Stradonitz】
1829~1896 ドイツの化学者。はじめリービッヒのもとで研究。炭素が四価の元素で、鎖状に結合すること、ベンゼンがいわゆる亀甲型の環状構造をとることを提唱、有機化学構造論の基礎を確立。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

ケクレ
けくれ
Friedrich August Kekul (Kekule) von Stradonitz
(1829―1896)
ドイツの有機化学者。炭素の四原子価性および相互に結合して原子連鎖をつくることを初めて述べ、ベンゼンの六員環構造式を定めて、今日に至る有機化学構造論の古典的基礎を確立した。
 ヘッセン大公国の軍事参議官の子として9月7日ダルムシュタットに生まれる。1847年ギーセン大学入学、当初建築学を専攻していたが、当時ギーセン大学で名の高かったリービヒJ. F. von Liebigの化学講義をたまたま聴講してそれにひきつけられ、化学に転向を決意、反対する家人を説得し、1849年夏からリービヒ門下となった。大学修了後パリに留学、1851年5月から約1年、デュマJ. B. A. Dumasの講義を聴き、ゲルアルトC. F. Gerhardtの知遇を得た。いったん帰国し、ついでスイスを経て、1854年ロンドンに行き、ウィリアムソンA. W. Williamson、オドリングW. Odlingらと親交を結んだ。彼は青年期に、有機化学興隆期におけるその第一線化学者たちの影響を強く受けたのである。1856年帰国してハイデルベルク大学の私講師、1858年ベルギーのガン大学教授、1867年ボン大学教授となり、終生ここにあって研究を進めた。1896年7月13日没。
 ケクレの業績の第一にあげられるのは、炭素原子が4価であり、しかも炭素原子どうしが互いに結合することができることを明らかにした点である。それに関する論文は1857~1858年ハイデルベルク大学私講師の時代に発表されているが、考え方の主要な部分はロンドン滞在中に形成されたものである。ロンドンでの彼の最初の論文(1854)は、硫黄(いおう)を含む有機酸について書かれているが、そのなかでウィリアムソンの水の型の理論を拡張して、硫化水素の型の系列を考え、硫黄の二価性、塩素の一価性をみいだしている。そして、炭素の四価性と炭素どうしの鎖状結合の着想を得て、論文『雷酸水銀の構造について』(1857)、『接合化合物と多価基の理論について』(1857)、『化合物の構造と変化について、ならびに炭素の化学的性質について』(1858)を発表した。これらの論文は有機化学構造理論の土台を築いたものであり、とくに1858年論文は注目をひき、その結果ガン大学教授の職を得ている(1858)。ケクレは、フランクランドE. Franklandの「飽和容量」(原子価)の概念(1853)に導かれながら、一方、当時、抽象化、記号化されたものとなってしまっていたゲルアルトの型の理論(1853)の意義と限界を明らかにしつつ、分子構造決定因子としての分子内原子の個性に着目し、それを原子論的な基礎のうえに置いて、炭素の四価性、原子価論を確立し(1857)、炭素の鎖状結合の理論(1858)を提起したのである。
 以上のケクレの第一の重要な業績から、彼はやがて、ベンゼンの構造の問題へと至る。前記1858年の論文のなかで彼は、「多数の炭素原子が含まれていて(炭素の単純な連鎖と考えることがどうしてもできないほど)、それらの炭素原子がより密な形で結び合っていると考えざるをえない化合物がある」ことを指摘し、その例として、「ベンゼンとその誘導体では、炭素含有量が高くて、すべてのエチル同族化合物とは特異的に区別される」と述べている。さらにナフタレンなどをあげ、「炭素原子がさらに密に結び付く方式が繰り返されている」と述べた。ベンゼンおよびその誘導体について、炭素の割合に比して水素がきわめて少ないフェニル基の存在は当時すでに知られていた。以上の状況のもとでベンゼンの構造の解明が当時の重要課題と考えられていた。ケクレは、この課題に対して、1865年にまずフランス語で発表し、翌1866年、より詳細に『芳香族化合物についての研究』と題して発表、ベンゼンの六員環構造を提起した。すなわち、開いた鎖として考えると、どうしても未飽和な親和力単位を含む原子が残るので、6個の炭素原子は六角形の閉じた鎖となること、および、各炭素原子間には単結合と二重結合とが交互に存在すること、を仮定して、今日ケクレ構造とよばれるベンゼン構造を提起したのである(六角の亀(かめ)の甲型の図式が具体的に描かれたのは、続いて出版された有機化学教科書においてである)。彼は、対称的に配列された六員環構造に基づいて、臭素置換体における異性体の数について予言したが、この予言はみごとに実証された。その後の多くの研究者によってなされた多くの実験が、ケクレ仮説の正当性を確かなものとしていった。
 以上の二つの重要な業績によってケクレは、まさしく、有機化学構造理論全体系の古典的基礎を確立し、これは、引き続いておこるドイツを中心とする有機合成化学工業にとっての基本的前提となった。また、炭素の四価性、ベンゼン構造式などの本質的な説明は、ケクレから60年後、量子力学の出現によって与えられることとなる。
 ケクレは教育者としても優れ、その弟子のなかには、ガン大学のバイヤーA. von Baeyer、デュワーJ. Dewarら、ボンではファント・ホッフJ. H. van't Hoff、フィッシャーE. Fischer、ワラッハO. Wallachらの多くの優れた化学者たちが含まれている。[荒川 泓]
『田中実著『近代化学史――化学理論の形成』(1954・中教出版) ▽日本化学会編『化学の原典10 有機化学構造論』(1976・東京大学出版会)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

ケクレ
(August Kekulé アウグスト━) ドイツの化学者。ボン大学教授。炭素が原子価四の元素であり、それが互いに結合して連鎖を作ることを提唱し、古典有機化学構造論の基礎を築く。また、ベンゾールに六角環の構造を与え、芳香族化学を創始。(一八二九‐九六

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化学辞典 第2版

ケクレ
ケクレ
Kekulé, Friedrich August

ドイツの化学者.有機化合物の構造論の古典的な基礎を築いた.父の希望によって建築家を志してギーセン大学に入学したが,J. Liebig(リービッヒ)の指導を受け,化学に転向した.1851年,1年間パリに留学してJ.B. Dumas(デュマ)の講義を聞き,当時のフランスの一流化学者たちとも接した.とくに新進のC.F. Gerhardt(ゲルアルト)の化学理論の影響を受けた.1852年母国に帰り,ギーセン大学より学位を受け,スイスでA.von Plantaの私設実験室の助手を務めた後,1853年末にイギリスに渡り,セント・バーソロミュー病院の助手となり,A.W. Williamson(ウィリアムソン)やA.W. Hofmann(ホフマン)と親しく交わって影響を受けた.イギリスから帰国したかれは,1856年から翌年にかけてハイデルベルク大学で有機化学を教えた.1857年から構造論についての論文を発表しはじめ,1858年にAnnalen der Chemie und Pharmacieに掲載された“化合物の構造と変態ならびに炭素の化学的本性”という論文で,炭素原子の四価性と炭素-炭素結合を主張した.1858年にベルギーのガン(ヘント)大学の化学教授となり,9年間の在任中,名著とされるLehrbuch der Organischen Chemieの大半を脱稿し,多くの有機酸についての塩基度や異性体関係を明らかにし,1865年ベンゼン構造(ケクレ式)を提案した.1860年にはA. Wurtz(ウルツ)やK. Weltzienと協力してドイツのカールスルーエで化学者の最初の国際会議を開催し,原子,分子,原子量など当時混乱していた化学の基本概念について検討した.1867年,ドイツのボン大学の化学教授となって,有機構造論にもとづいた研究を発展させ,多くの弟子を育てた.晩年には多年にわたる化学研究と工業への功績によって貴族に列せられた(1890年).

出典:森北出版「化学辞典(第2版)」
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