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グレー

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

グレー
Gray, Asa
[生]1810.11.18. ニューヨーク,ソークォイト
[没]1888.1.30. マサチューセッツ,ケンブリッジ
アメリカの植物分類学者,植物地理学者。 1831年フェアフィールド医学校で学位取得。北アメリカの植物を採集,分類し,それをもとにして書いた分類手引書"Gray's Manual" (1848) は当時広く利用された。ハーバード大学自然史教授 (42) 。 65年,それまでに採集した植物の標本と,数千巻に及ぶ蔵書とを大学に寄贈。これが基礎となって,ハーバード大学に植物学科が新設された。彼はまた植物の地理的分布に関する研究も行い,その成果を C.ダーウィンが『種の起原』執筆のための資料として使っている。グレーはアメリカにおける有力なダーウィン支持者で,ダーウィンの学説を支持する論文集"Darwiniana"を出版した (76) 。

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グレー
Gray, Horace
[生]1828.3.24. ボストン
[没]1902.9.15.
アメリカの裁判官。 1864~73年マサチューセッツ州最高裁判所判事。 73~81年同首席判事。 82~1902年連邦最高裁判所判事。

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グレー
Gray, John
[生]1799. イングランド
[没]1883. スコットランド
イギリスのリカード派社会主義者。青年時代に商業に従事した経験とナポレオン戦争後の社会不安下で R.オーウェンの協同組合原理から受けた影響により,資本主義経済体制に批判的となり,主著『人間幸福論』A Lecture on Human Happiness (1825) で労働全収権思想を展開した。さらに労働貨幣論の体系的な主張を行なった。他の著書でもユートピア社会主義思想を展開し,上記のほか"The Social System" (31) ,"Lectures on the Nature and Use of Money" (48) などがある。晩年は実業に復帰し,著作活動は行わなかった。 (→空想的社会主義 )  

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グレー
Gray, Robert
[生]1755.5.10. ロードアイランド,ティバートン
[没]1806. アメリカ東海岸沖
アメリカの船長探検家。 1787~90年アメリカ人として最初の世界周航に成功。 92年5月,オレゴン地方コロンビア川を探検し,アメリカにこの地方の領有権主張の根拠を与えた。

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グレー
Gray, Simon
[生]1936.10.21. ヘイリング島
[没]2008.8.6. ロンドン
イギリスの劇作家。フルネーム Simon James Holliday Gray。作品は込み入った筋書きと,機知に富んだ文学的会話,複雑な性格描写で知られる。ウェストミンスター・スクールを経て,カナダのダルフージー大学,ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジで学んだ。イギリスとカナダの大学で講師として勤める一方,舞台やテレビ向けの風刺小説や笑劇を書いた。1968年に初戯曲,逃亡中の犯罪者が女装して男色宿にまぎれこむ『賢い子供』Wise Childを発表。1971年に中年の大学教授の挫折を描いた『バトリー』Butleyが世界的な評価を得,1974年に映画化された。その後,"Quartermaine's Terms"(1981),"The Common Pursuit"(1984),"The Late Middle Classes"(1999),"Little Nell"(2006)など多くの作品を著した。2005年に大英帝国三等勲功章 CBE受章

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グレー
Gray, Stephen
[生]1666. カンタベリー
[没]1736.2.15. ロンドン
イギリスの物理学者。 J.フラムスティードの指導を受け,水滴を対物レンズに用いた独自の顕微鏡に関する理論手始めに,いくつかの論文をロイヤル・ソサエティの機関誌『フィロソフィカル・トランザクション』に発表して学界入りした。後半生はほとんど電気の実験研究に没頭。特に,電気伝導を明らかにしたこと,それに伴って導体絶縁体区別確立したこと,さらに誘電分極現象の研究などが重要である。ロイヤル・ソサエティ会員 (1732) 。

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グレー
Gray, Thomas
[生]1716.12.26. ロンドン
[没]1771.7.30. ケンブリッジ
イギリスの詩人。イートン校,ケンブリッジ大学に学び,1742年以後は同大学の学寮に居住して隠者的な生活をおくり,のち歴史および近代語の教授に任じられた。瞑想詩『墓畔の哀歌』 Elegy Written in a Country Churchyard (1751) は非常な人気を博し,最も広く知られた英の一つとなった。 57年桂冠詩人に推されたが辞退。ほかに『遠くイートン校を望む歌』 Ode on a Distant Prospect of Eton College (47) ,『詩歌進歩』 The Progress of Poesy (57) ,『詩仙』 The Bard (57) ,北欧文学翻訳など。作品の数は多くないが洗練された端正な詩風は古典主義時代後期の代表者にふさわしい。

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グレー
Grey, Beryl
[生]1927.6.11. ハイゲート
イギリスのバレリーナ。本姓 Groom。 1942年サドラーズ・ウェルズ・バレエ団 (のちのロイヤル・バレエ団) のソリストになり,『白鳥の湖』『ジゼル』『眠れる森の美女』などを踊った。ゲスト・アーティストとしてストックホルムの王立バレエ団,レニングラード・バレエ団,ボリショイ・バレエ団などで踊り,57年ロイヤル・バレエ団を脱退。 68~79年ロンドン・フェスティバル・バレエ団の芸術監督をつとめた。

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グレー
Grey, Charles, 2nd Earl of Grey
[生]1764.3.13. ノーサンバーランド,ファロデン
[没]1845.7.17. ノーサンバーランド,ハウィック
イギリスの政治家。グレイとも表記される。初代グレー伯の嫡子。 1786年ホイッグ党の下院議員として政界に進出すると,ピット (小)内閣の反対者として,C.フォックスらと提携し,92年には「人民の友協会」の創設に参画して,以後議会改革運動 (→選挙法改正運動 ) に尽力した。 1806年ピット (小) がんで W.グレンビルの「挙国実力者内閣」が成立すると,フォックスは外相に,グレーは海相に就任した。同年秋フォックスの死後は,外相兼下院指導者となったが,翌 07年内閣は総辞職し,同年グレーは父の跡を継いで2代伯となり,上院に移った。以後ホイッグ党の最有力指導者となり,30年ウェリントンのトーリー内閣が崩壊すると,ホイッグ党とカニング派の連立内閣の首相となり,多年の主張であった議会改革に着手し,32年第1次選挙法改正法案を成立させた。 34年アイルランド問題で閣内不一致を招き辞任政界から引退した。

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グレー
Grey, Sir George
[生]1812.4.12. リスボン
[没]1898.9.19. ロンドン
イギリスの植民地行政官。グレイとも表記される。オーストラリア,ニュージーランド,南アフリカで総督として活躍。 1829年から 10年間軍務に服し,37~39年西オーストラリアの探検に参加。 41年南オーストラリア総督となり,経済再建と先住民宥和に示した手腕を買われて,ニュージーランドのマオリ族問題解決のため,45年ニュージーランド総督に任命された。硬軟よく使い分けて和解を成立させ,みずからマオリ文化の研究,その口伝を記述し,マオリ族の西洋化を進めた。 54年ケープ植民地の総督となり,先住民との和解を成立させた。しかしイギリス人とボーア人地区の連邦化をはかって反対され,61年再びニュージーランド総督に復帰。 74~94年ニュージーランド議会議員,その間首相に就任 (1877~79) し,イギリスに引退。

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グレー
Grey, Henry George, 3rd Earl of Grey
[生]1802.12.28. ノーサンバーランド,ハウィック
[没]1894.10.9. ノーサンバーランド,ハウィック
イギリスの政治家。2代伯チャールズ・グレーの長男。 1826~45年ホイッグ党の下院議員として,議会改革,自由貿易を支持。 30年植民次官となったが,33年西インド植民地の奴隷即時解放が支持されず辞任。 34年内務次官,35~39年陸相。 45年上院に移り,46~52年植民地相兼陸相として,特に帝国内のカナダ,オーストラリア,ニュージーランドなど白人植民地の自治の向上に貢献した。 52年以後閣僚となることはなかったが,政界に独自の地位を占め,自由党政府の政策をきびしく批判した。特に W.グラッドストンのアイルランド自治政策に強く反対した。

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グレー
Grey, Lady Jane
[生]1537.10. レスターシャー,ブラッドゲイト
[没]1554.2.12. ロンドン
イギリス,チューダー朝のイングランド女王 (在位 1553.7.9~17.) 。ヘンリー7世曾孫。少女時代から才色兼備をもって知られた。 1553年5月ノーサンバーランド (公)のたくらみで,彼の息子ギルドフォード・ダッドリーと結婚させられ,同年7月エドワード6世の死にあたり公の陰謀王位についたが,9日間で廃位され,のち T.ワイアット反乱との関係を疑われ,とともに処刑された。

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グレー
Grey of Fallodon, Edward
[生]1862.4.25. ロンドン
[没]1933.9.7. エンブルトン近郊
イギリスの政治家。 1885年自由党下院議員として政界入り。 1905年 H.キャンベル=バナマン自由党内閣の外相となり,第1次世界大戦前および大戦中のイギリス外交を指導。ドイツの勢力増大に対抗してフランス,ロシア,日本などと提携,英露協商英仏海軍協定締結に尽力した。バルカン問題の解決やオーストリア,セルビア間の紛争調停に努めたが,ドイツのベルギー中立侵犯を機に対独宣戦し,戦時外交を指導した。 16年 H.アスキス内閣総辞職とともに下野し,子爵を授けられ,23~24年上院の野党を指導した。

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グレー
Grey, Zane
[生]1875.1.31. オハイオ,ゼーンズビル
[没]1939.10.23. カリフォルニア,アルタデナ
アメリカの小説家。ニューヨークで歯科医をしていたが,処女作『ベティー・ゼーン』 Betty Zane (1904) を自費出版して以来著作に専心,『辺境魂』 The Spirit of the Border (05) で好評を博したのち,『緋衣の騎士たち』 Riders of the Purple Sage (12) で名声を確立。西部物の大衆小説作家として 60編あまりの作品を書いたが,なかでも『最後の平原児』 The Last of the Plainsmen (08) は最高傑作とされている。

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デジタル大辞泉

グレー(gray)
《「グレイ」とも》
灰色。ねずみ色。「グレーの背広」
白髪交じりの髪。グレーヘア。「ロマンスグレー
どちらでもない中間的な状態や態度。「法律に触れるのかどうか、依然グレーだ」

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グレー(Thomas Gray)
[1716~1771]英国の詩人。ロマン主義先駆者。「墓畔の哀歌」は「新体詩抄」に出され、明治文学に影響を与えた。グレイ。

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世界大百科事典 第2版

グレー【Asa Gray】
1810‐88
アメリカの植物学者。ニューヨーク生れ。はじめ医学を学んだが,のち植物学を研究し,ニューヨークの自然史博物館館長,ハーバード大学教授となる。合衆国の中西部,太平洋岸からもたらされた標本を分類。C.ダーウィン,フッカーJ.D.Hookerらと親交があり,ダーウィンからは発表に先だって自然淘汰による進化の思想を述べた手紙を送られた。東アジアの植物が北アメリカのものと関係あることをも示したが,神学をも受容していた。

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グレー【Charles Grey,2nd Earl Grey】
1764‐1845
イギリスの政治家。初代グレー伯の長男としてノーサンバーランドに生まれる。ケンブリッジ大学を卒業して下院議員となり,父親の死後(1807)上院に移った。C.J.フォックスを信奉するホイッグの論客として知られ,カトリック解放と選挙法改正を主張してやまなかった。だが1780年代から19世紀初頭にかけての時期は,フランス革命とナポレオン戦争の影響下にトーリー党全盛を誇った時代で,そのため閣僚となる機会には恵まれず,わずかに1806‐07年に海相・外相を経験したにとどまった。

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グレー【Edward Grey,1st Viscount of Fallodon】
1862‐1933
イギリスの自由党政治家。1885年下院に入り,1905年キャンベル・バナマン内閣の外務大臣となり,第1次世界大戦前および戦中のイギリス外交を指導した。英仏協商(1904)の精神に従い,2度にわたるモロッコ事件ではフランス支持を貫き,ドイツを牽制した。さらに07年英露協商を結んでロシアとの対立要因を除去し,12年英仏海軍協定を締結,対独包囲網の形成に努めた。13年ロンドンの講和会議でバルカン諸国の紛争を調停し,平和条約の締結を促進した。

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グレー【George Grey】
1812‐98
イギリス植民地の総督,政治家。1837年オーストラリア北西部を探検,40年未開人の文明化について報告書を提出し,イギリス植民地省の注目を引いた。南オーストラリア,ニュージーランド,南アフリカで総督を務め,77‐79年ニュージーランド首相。各任地で原・先住民の伝統,土地所有権,農業発展に理解と協力を示し,〈二つの文化一つの国〉という今日のニュージーランド国家のを築いた。著書《ポリネシア神話》(1854)はマオリ口承文芸の古典であるが,その採話と翻訳の信憑性について,近年マオリ系民俗学者から疑問も出されている。

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グレー【Thomas Gray】
1716‐71
イギリスの詩人。ケンブリッジ大学を中途退学して,友人ホレス・ウォルポールとヨーロッパ大陸を旅行(1739‐41)したが,このとき2人がアルプスの崇高美に深く感動した事実は,イギリス人の美意識がロマン主義に向かって開かれ始める,一つの出発点であったといえよう。グレーはケンブリッジにもどり,卒業後も古典語・文学の研究に頭し,かたわら詩作を続けた。古典学者らしい抑制のきいた措辞は,新しく自然に向かって開かれたみずみずしい感性をひそめ,寡作ながら当代を代表する詩人となった。

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グレー【Zane Grey】
1872‐1939
アメリカの西部小説作家。ニューヨークの歯科医だったが,体内にインディアンの血が32分の1混じっていることを自慢にし,自然生活を愛する行動家で,《荒野遺産》(1910)および《草原の騎士たち》(1912)によって,西部小説の第一人者となった。生涯に89冊出した本のうち56冊が西部小説で,それにより100本以上の映画化作品も生まれた。メロドラマ基調だが,東部人が西部流の生き方を知っての人間性に目覚めるといった,大自然の浄化力を強調する作品が多い。

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大辞林 第三版

グレー【gray; grey】
灰色。鼠色。

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(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

グレー【Thomas Gray】
1716~1771 イギリスの詩人。「新体詩抄」に訳出された「墓畔の哀歌」の作者として知られる。

出典:三省堂
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367日誕生日大事典

グレー
生年月日:1862年4月25日
イギリスの政治家
1933年没

出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
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精選版 日本国語大辞典

グレー
〘名〙 (gray grey)⸨グレイ⸩ 灰色。鼠色。〔舶来語便覧(1912)〕

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グレー
[一] (Sir Edward Grey サー=エドワード━) イギリスの政治家。外相。第一次世界大戦前から戦中にかけて、イギリス外交を指導。三国協商を推進し、またドイツのベルギー中立侵犯に対して対独宣戦を行なった。(一八六二‐一九三三
[二] (Charles Grey チャールズ━) イギリスの政治家。一八三〇年首相に就任してホイッグ党内閣を組織し、三二年選挙法改正案の成立に成功した。(一七六四‐一八四五
[三] (Thomas Gray トマス━) イギリスの詩人。古典的な、格調の高い文体で、風景美や憂愁をうたった点でロマン派の先駆者とされる。「墓畔の哀歌」は「新体詩抄」に訳出された。(一七一六‐七一

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旺文社世界史事典 三訂版

グレー
Charles Grey, 2nd Earl Grey
1764〜1845
イギリスの政治家
ホイッグ党に属し,1806年海相,ついで外相をつとめ,1830〜34年首相。上院の反対をおさえて腐敗選挙区を廃止し,都市中産層に参政権を与えるという第1次選挙法改正に成功した。1833年には一般工場法も成立した。

出典:旺文社世界史事典 三訂版
執筆者一覧(50音順)
小豆畑和之 石井栄二 今泉博 仮屋園巌 津野田興一 三木健詞
 
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