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クン

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

クン
Kun Béla
[生]1886.2.20. トランシルバニア,シラージチェ
[没]1939.11.30頃.ソ連
ハンガリーの革命運動家,国際共産主義運動の指導者。ベーラ・クンとも呼ばれる。ユダヤ系中間層の出身でコロスワール (現クルージナポカ) の大学を卒業。在学中からトランシルバニアの社会民主党の組織化や労働運動に従事,のちにブダペストで社会民主党機関紙の記者となった。第1次世界大戦にはオーストリア軍人として出征,ロシア軍の捕虜となり,1917年ロシア革命に遭遇,ボルシェビキ党に入党。休戦直後ハンガリーに帰国し,共産党を創立。 1919年3月 21日,社会民主党と協力してカーロイ政府を打倒し,ソビエト政権を樹立した。しかし過激な政策によって農民や中間層の不満を買い,さらにルーマニア軍の武力干渉を招いて,同年7月 31日辞職,まずウィーンに,次いでモスクワに亡命した。コミンテルンの依頼により,1921年3月ドイツ共産党の蜂起を指導したが失敗,レーニンに批判された。以後コミンテルン・バルカン書記局で活動。 1936年内乱下のスペインに派遣されたが,まもなくモスクワに戻され,大粛清の犠牲となった。

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世界大百科事典 第2版

クン【Kun Béla】
1886‐1939
ハンガリーの政治家。トランシルバニアの村役人の家に生まれ,1902年社会民主党入党。大学卒業後新聞記者となる。第1次大戦下で出征,1916年にロシアの捕虜となり,トムスク収容所で感化されてボリシェビキとなる。17年末にペトログラードへ,ついでモスクワへ行き,レーニンとも接触。18年3月ハンガリー人共産主義捕虜組織の議長。同5月共産主義捕虜国際連盟議長。同年夏から革命干渉軍と戦う。18年11月ハンガリーへ帰り,共産党を組織,時のカーロイ政権の政策を批判。

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旺文社世界史事典 三訂版

クン

出典:旺文社世界史事典 三訂版
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