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ギーラーン共和国【ギーラーンきょうわこく】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

ギーラーン共和国
ギーラーンきょうわこく
(Soviet)Republic of Gīlān
イランの地方革命政府。第1次世界大戦直後,1920年6月5日宣言され,1921年12月に壊滅。大戦中の 1915年頃,ドイツ,オスマン帝国と結びついて,ロシアに対する森林パルチザン運動(ジャンガリー運動)が,クーチェク・ハーンを指導者としてギーラーン地方で起こった。汎イスラム的スローガンを掲げた運動に立憲革命期のモジャーヘダーン(市民軍)が多数参加し,その勢力は 1918年にはギーラーンからマーザンダラーンにまで伸長,1918年3月テヘランに向かう要衝カズビーンを脅かすにいたった。イギリス軍はザカフカス出兵のためラシュトを基地として,彼らから事前の了解を得た(1918.8.12.)。このときクーチェク・ハーンらは極左派幹部エフサーヌッラーと内部対立し,戦線の一部を失った。1920年5月18日,赤軍艦隊がカスピ海から敗走中のイギリス軍を追ってエンゼリー港(→バンダレアンザリー)に上陸,ラシュトで森林パルチザンと合同委員会を樹立した。1920年6月5日,クーチェク・ハーンはギーラーン共和国(イランの社会主義ソビエト共和国)の成立を宣言し,6月20~25日イラン共産党(アダーラト)がエンゼリーで創立され,ギーラーン共和国支持を決議した。ここにイラン民族運動に共産主義運動が結びつき,反対派大地主の土地は没収されて農民に分配された。同地にあった赤軍(多くはザカフカス人)は 1921年9月に撤収したが,事前にイラン中央政府とソビエト連邦の了解ができており,残存したクーチェク・ハーンらはイラン中央政府軍の攻撃を受け,ギーラーン共和国は同 1921年12月に壊滅した。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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世界大百科事典 第2版

ぎーらーんきょうわこく【ギーラーン共和国】

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