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ギゾー

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

ギゾー
Guizot, François (-Pierre-Guillaume)
[生]1787.10.4. ニーム
[没]1874.10.12. カルバドス,バルリシェ
フランスの政治家,歴史家。保守的王政派の代表としてナポレオン1世に反対し,王政復古を支持し,国王ルイ・フィリップの最後の政府の中心人物として知られる。 1805年 10月法律研究生としてパリに出,12年女流作家 P.ムーランと結婚。同年ソルボンヌ大学の近世史教授。王政復古で法務省の次官に任命されたが,16年5月辞職。 19年内務省の地方行政局長,のち大学へ帰り,歴史家,ジャーナリストとして反動政府を精力的に批判。 30年の選挙ではカルバドス県選出の代議士となり,18年間の政治生活のスタートを切った。同年国王シャルル 10世の「七月勅令」に反対する 63人の代議士の抗議文を起草。新王ルイ・フィリップのもとに七月王政が始ると,内務相に就任,行政組織の立直しに取組んだ。 32年 10月から 39年3月まで文相として初等教育法令 (1833.6.28.) を打出し,フランス史協会を設立。 40年スールト内閣の外相,実質上の首班となる。 47年首相。選挙法改正に反対。外交政策ではイギリスとの友好関係を温存,またメッテルニヒと同盟を結んだ。 48年の二月革命政界を去り,以後は歴史研究に専念。主著『ヨーロッパ文明史』 Histoire de la civilisation en Europe (28) ,『フランス文明史』 Histoire de la civilisation en France (30) 。

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デジタル大辞泉

ギゾー(François Pierre Guillaume Guizot)
[1787~1874]フランスの歴史家・政治家。研究生活から政界に入り、内相・首相をつとめたが、反動策をとって1848年二月革命を招き、イギリスに亡命。著「イギリス革命史」「ヨーロッパ文明史」など。

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世界大百科事典 第2版

ギゾー【François‐Pierre‐Guillaume Guizot】
1787‐1874
フランスの政治家,歴史家。南フランス,ニームのプロテスタントの家庭に生まれた。弁護士の父は“恐怖政治”のさなか処刑され,母子は革命の難を逃れてジュネーブに赴く。その地で厳格なカルバン主義教育を受けた彼は,1805年法律家を目指しパリに出る。ギボンの《ローマ帝国衰亡史》の注釈などで頭角を現し,12年パリ大学近代史講座の教授となる。復古王政治下,内相秘書官をはじめ,国務院調査官や県・地方行政局長の要職を歴任する一方,〈憲章〉理念実現のためロアイエ・コラールらとともに自由主義の立場から立憲君主政擁護の論陣を張る。

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大辞林 第三版

ギゾー【François Pierre Guillaume Guizot】
1787~1874) フランスの政治家・歴史家。七月革命後政権を握り、保守路線を貫く。二月革命で失脚。主著「ヨーロッパ文明史」

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

ギゾー
ぎぞー
Franois Pierre Guillaume Guizot
(1787―1874)
フランスの政治家、歴史家。ニームの新教徒の弁護士の家に生まれる。父が恐怖政治のもとで死刑に処せられたのち、ジュネーブに移った。1805年にパリに出て法律と文学を修め、1812年からパリ大学で近代史の講座を担当した。このころ親交を結んだロアイエ・コラールに導かれて政界に入り、王政復古(1814)後、内務省、法務省の事務局長の職につく一方、ロアイエ・コラールらとともに、過激な変革と復古を排して漸進的改革を唱えるドクトリネール純理派)を形成した。自由主義的なドカズ内閣の崩壊(1820)後、教壇に復帰する一方、ブルジョア自由主義の立場から政府批判の論陣を張った。1826~1830年に書かれ彼の文名を高めた『イギリス革命史』『ヨーロッパ文明史』などは、歴史の書であると同時に、自己の政治的立場の正当化を目ざすものでもあった。七月革命(1830)の際にはルイ・フィリップの勝利に貢献し、1830年代には内務相、公教育相を歴任したが、政治的には保守的傾向を強めた。公教育相としては、初等教育の普及のためにギゾー法(1833)を制定したが、無償の義務教育を命ずるものでなかったから、あまり実効はなかった。1840年代には駐英大使を経て、外相、首相になり、二月革命(1848)まで政権の中心を占めた。「労働と貯蓄によって金持ちになりたまえ」ということばが示すように、彼の政策はブルジョアの利害を第一義としていた。財産による制限選挙の堅持、立法による鉄道建設や金融機関の拡充が図られたが、それは利権に絡まる腐敗を惹起(じゃっき)した。外交面では対イギリス関係の改善を軸としたが、イギリスの利害と強まりつつある国内のナショナリズムに挟まれて成功を収めなかった。二月革命後、1年間イギリスに亡命ののち帰国したが、もはや政治的活躍の舞台は得られず、ノルマンディーの所領に引きこもり、著述の日々を送った。[阪上 孝]

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