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キュー・サムファン

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

キュー・サムファン
Khieu Samphan
[生]1931.7.27. スバイリエン
カンボジアの政治家。 1959年フランス留学から帰国後,左派系新聞の編集長として政府攻撃を続けた。 62年 N.シアヌーク元首が組織した政治組織サンクムに参加して商業担当国務相,国会議員。 67年地下に潜行して赤いクメール (クメール・ルージュ) に参加,再び反政府運動を展開した。ロン・ノルのクーデター後の 70年4月王国民族連合政府首相兼国防相,解放軍総司令官として反ロン・ノル闘争を指導。政権奪取後の 76年4月シアヌーク辞任後跡を継いで民主カンプチア (ポル・ポト政権) の国家元首,国家幹部会議長就任。 79年初頭,ベトナムに支援されたヘン・サムリン政権によって首都を追われた後,12月ポル・ポト後任としてゲリラ戦を続ける同政権の首相に就任。 92年 11月,ポル・ポト派が結成したカンボジア国家統一党 National Unity Party of Cambodiaの議長。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

キュー・サムファン
きゅーさむふぁん
Khieu Samphan
(1931― )
カンボジアの政治家。1954~1959年フランス留学、パリ大学経済学博士。1962~1963年経済相。1970年右派ロン・ノルLon Nol(1913―1985)のクーデター後、シアヌーク率いる「カンボジア王国民族連合政府」の副首相兼国防相に就任。プノンペン解放後の1976年4月クメール・ルージュ(ポル・ポト派)が樹立した「民主カンボジア」国家幹部会議長、1979年同首相兼任へ。1982年6月、反ベトナム三派の「民主カンボジア連合政府」樹立とともに外務担当副大統領に就任。1991年のパリ和平協定に基づく新政府には参加せず、1994年「暫定国民団結救国政府」を樹立し、その首相に就任した。1998年4月ポル・ポトの死でクメール・ルージュの崩壊が決定的となり、同年12月ヌオン・チアNuon Chea(1927―2019。元人民代表議会議長)とともにカンボジア政府側に投降した。2007年、カンボジア裁判所内に設置された特別裁判部において、クメール・ルージュ政権下での人道に対する罪や大量虐殺について起訴された。[黒柳米司]

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20世紀西洋人名事典

キュー・サムファン
Khieu Samphan


1931.7.27 -
カンボジアの政治家。
元・カンボジア三派連合政府副大統領。
スバイリエン州生まれ。
パリ大学に学ぶ。
経済学博士。経済相を経て、’70年クーデター後、シアヌーク率いる王国民族連合政府の副首相兼国防相。’79年プノンペン陥落後、「民主カンボジア」(ポル・ポト派)国家幹部会議長兼首相兼大民族統一愛国民主戦線臨時議長となる。’82年反ベトナム三派の「民主カンボジア連合政府」樹立とともに外務担当副大統領。

出典:日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)
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367日誕生日大事典

キュー・サムファン
生年月日:1931年7月27日
カンボジアの政治家

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現代外国人名録2016

キュー・サムファン
Khieu Samphan
職業・肩書
政治家 元民主カンボジア(ポル・ポト派)代表(議長)

国籍
カンボジア

生年月日
1931年7月27日

出生地
スバイ・リエン州

別名
別名=Hem

学歴
リセ・シソワット卒,パリ大学卒

学位
経済学博士

経歴
フランス留学中に左派系留学生の運動を指導。1959年帰国後、プノンペンで左派系紙「オプセルバトゥール」の編集長として政府攻撃、数回投獄される。’62年シアヌーク政権下で商業担当国務相に就任、8ケ月後辞任。同年国民議会議員に選出。’67年クメール・ルージュに参加、左派分子の弾圧で地下に潜行。’70年ロンノル将軍のクーデター後、ポル・ポト派反政府ゲリラの解放闘争に入り、4月シアヌーク殿下の王国民族連合政府(在北京)副首相兼国防相。’71年民族解放軍総司令官。ポル・ポト政権成立後の’76年1月民主カンボジア政府樹立、4月国家幹部会議長(元首)。’79年1月のプノンペン陥落後はタイ国境の山岳地帯でゲリラ戦に突入。12月首相および民族統一民主愛国戦線臨時議長を兼任。’82年7月民主カンボジア三派連合政府(カンボジア国民政府)樹立で外務担当副大統領。’85年8月ポル・ポト派代表(議長)に就任。’90年6月カンボジア和平東京会議に出席。’91年11月四派和平成立後プノンペン入りしたが、群衆に襲われバンコクに避難。’92年11月“カンボジア国家統一党”結成。’94年7月ポル・ポト派が樹立した“暫定国民団結救国政府”の首相兼国防相に就任。’96年内閣改造で国防相を退任。’98年4月ポル・ポト死去により、ポル・ポト派は壊滅状態となる。12月ヌオン・チア元人民代表議会議長とともにカンボジア政府に投降、タイ国境で隠居生活。2006年ポル・ポト派特別法廷が設置され、2007年11月逮捕される。2010年9月他の幹部とともに起訴される。2011年6月初公判。2013年10月検察側が終身刑を求刑。2014年8月終身刑の判決が出された。

出典:日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」
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