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カーメネフ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

カーメネフ
Kamenev, Lev Borisovich
[生]1883.7.22. モスクワ
[没]1936.8.25.
ソ連の政治家。旧名 L.B. Rosenfeld。ユダヤ人技師の子。 1901年ロシア社会民主労働党に入党し,党分裂後はボルシェビキとして活動。 08~14年国外で活動ののち,機関紙『プラウダ』の編集に従事した。第1次世界大戦に際しては敗戦主義宣言の組織化に努力し,流刑を経たのち,党中央委員に就任。十月革命には武装蜂起に反対したが,革命後,党政治局員,モスクワ・ソビエト議長,労働国防会議議長などを歴任。 V.I.レーニンの死後,「一国社会主義」論をめぐって I.スターリンと対立,27年党を除名された。翌年復党,29年中央利権委員会議長となったが,32年に再び除名,35年反革命陰謀の理由で5年の禁錮刑,36年合同本部事件の中心人物として G.ジノビエフらとともに処刑された。

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世界大百科事典 第2版

カーメネフ【Lev Borisovich Kamenev】
1883‐1936
ソ連邦の革命家,政治家。本名ローゼンフェリドRozenfel’d。ユダヤ人。技師の子として生まれ,1901年モスクワ大学在学中にロシア社会民主労働党に入党,各地で地下活動を続ける。17年二月革命後,流刑地のシベリアから戻り,首都ペトログラードのボリシェビキ党指導者となるが,当初は臨時政府条件付き支持の立場をとった。十月革命準備の過程でジノビエフと共に武装蜂起に反対。蜂起後は他の社会主義政党との連立を唱えた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

カーメネフ
かーめねふ
Лев Борисович Каменев Lev Borisovich Kamenev
(1883―1936)
ロシアの革命家、政治家。ユダヤ人。モスクワ出身で、モスクワ大学在学中の1901年にロシア社会民主労働党に入り、以後ロシア各地と国外で活動。14年に逮捕され、翌年シベリアに流刑となった。17年の二月革命後、流刑地から首都ペトログラード(現サンクト・ペテルブルグ)に帰り、『プラウダ』編集部で活動した。七月事件後一時投獄された。十月革命前夜に蜂起(ほうき)反対を主張したことは党歴に重大な傷となった。翌年からモスクワ・ソビエト議長を務め、レーニン、トロツキー、スターリン、ジノビエフとともに5名の政治局員の一人であった。レーニンの晩年における後継者をめぐる党内対立では、スターリン、ジノビエフと組んでトロイカ(三人組)体制をとりトロツキーの失墜に一役買ったが、25年を転機にスターリンの党主流と対立を深め、党内闘争に敗北し、27年に党から除名された。その後復党したが、34年のキーロフ暗殺事件に関連して逮捕され、35年に禁固刑、翌年に死刑を宣告され、処刑された。1956年のスターリン批判後も名誉回復されなかったが、1988年ペレストロイカに伴い名誉回復された。[原 暉之]

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