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カニッツァーロ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

カニッツァーロ
Cannizzaro, Stanislao
[生]1826.7.13. パレルモ
[没]1910.5.10. ローマ
イタリアの化学者。パリで勉強し,のち帰国。アレッサンドリア工科大学 (1851) ,ジェノバ大学 (55) ,パレルモ大学 (61) ,ローマ大学 (71) 各教授を歴任。揮発性化合物分子中の各元素の原子量を,アボガドロの仮説を用いて計算することに成功してアボガドロの仮説の正しさを立証し発展させたことは,化学史上高く評価されている。有名な「カニッツァーロ反応」 (53) の発見をはじめとして,芳香族化合物,アミン類の研究で大きな成果をあげ,1891年にロンドン・ロイヤル・ソサエティのコプリー・メダルを受賞した。なお 71年には上院議員となり,政治家としても活躍した。

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デジタル大辞泉

カニッツァーロ(Stanislao Cannizzaro)
[1826~1910]イタリアの化学者。ローマ大教授。1860年、アボガドロ仮説を実証し、原子量分子量決定の方法を確立した。また、アルデヒドの不均化反応を発見したことでも知られる。カニッツァロ。

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世界大百科事典 第2版

カニッツァーロ【Stanislao Cannizzaro】
1826‐1910
イタリアの化学者。1860年カールスルーエの第1回化学国際会議でアボガドロの分子仮説(1811発表)を承認し,当時の化学界の混乱を解決した。会議に配布された論文〈ジェノバ大学における化学理論講義概要〉(1858発表)は,同仮説の適用により分子量を決定し,原子量基準を水素1とすることによって化学結合を統一的に示したもので,原子価概念確立への一里塚となった。シチリア島のパレルモに生まれ,同地の大学で1841年より医学を学んだ後,ナポリピサの大学で化学を学ぶ。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

カニッツァーロ【Stanislao Cannizzaro】
1826~1910 イタリアの化学者。1860年、アボガドロの仮説を原子量・分子量決定の基準とすべきことを指摘して、長く混乱状態にあった原子量決定の画期となった。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

カニッツァーロ
かにっつぁーろ
Stanislao Cannizzaro
(1826―1910)
イタリアの有機化学者。シチリア島、パレルモの警察庁長官の息子。生地の大学で医学を修めたのち、ピサで化学を学ぶ間シチリア独立戦争に参加し、敗れ、パリのシュブルールの研究室に赴く。その後、アレッサンドリア公立カレッジ(1851)、ジェノバ大学(1855)、1861年のイタリア王国建国後、パレルモ大学(1861)、ローマ大学(1871)などで教授を歴任。元老院議員も務める。有機合成に有用なカニッツァーロ反応の発見者。また、アボガドロの仮説に実証的根拠を与え、化学史上最大の難問の一つであった原子量問題を解決した。
 ある容積の水素の重量と、同容積の水蒸気、塩化水素、アンモニアに含まれる水素の重量を比べると、その比は2・2・1・3となる。「等容積等粒子数」というアボガドロの第一の仮説を前提にすると、等容積の化合物に含まれる水素重量の最大公約量は分割の基本的単位と考えられ、これが原子量とよばれるべきものである。このことは水素以外の元素についても同様で、水素の原子量を1とすると、酸素16、炭素12などの値が得られる。この結果、水素など気体元素は、アボガドロの第二の仮説どおりに二原子分子となる。原子量を一義的に決めるこの原理は、これを論じた『化学哲学講義要綱』(1858)が1860年のカールスルーエ国際会議終了後に配布されることによって、化学者たちに受け入れられるに至った。[肱岡義人]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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化学辞典 第2版

カニッツァーロ
カニッツァーロ
Cannizzaro, Stanislao

イタリアの化学者.パレルモ大学医学部に入学し,はじめ生物学に関心をもつ.1845年ナポリで会った物理学者M. Melloniの紹介で,ピサ大学のR. Piria教授のもとに赴き,その実験助手になり,化学者となる決心をする.1847年にナポリ王国へのほう起に参加したが失敗し,かれはマルセイユに逃げた.同年,パリに出て,M.E. Chevreul(シュブルール)の研究室で化学の勉学を続け,1851年イタリアに帰国し,アレッサンドリアのCollegio Nazionaleの化学・物理学・数学の教師になった.その後,ジェノア大学(1855~1861年),パレルモ大学(1861~1871年),ローマ大学(1871~1909年)の教授を歴任した.かれの実験的な仕事は有機化学で,1853年に発見した水酸化カリウムによるベンズアルデヒドからの安息香酸ベンジルアルコールの生成(カニッツァーロ反応)が有名である.理論化学上の最大の業績は,1858年に書いた大学における初等化学講義の概要を説明した手紙“化学哲学教程の概要”(同年雑誌に掲載され,翌年小冊子として出版)で,ここで新しい原子量決定法と原子量体系を提案した.19世紀前半の化学者たちは,J. Dalton(ドルトン)が発表した化学的原子論にもとづく原子量の存在は認めていたが,どのように原子量を決定するかについて意見の対立があり,人によって採用する原子量がまちまちで混乱状態にあった.かれは,原子と分子,当量の明確な区別をし,アボガドロの仮説(同圧・同温・同体積には同数の気体分子が含まれる)とデュロン-プティの仮説(原子量と比熱の積が一定)を首尾一貫して用いて,物理学的データに矛盾しない原子量体系をつくりあげた.この論文冊子は,1860年ドイツのカールスルーエで開催された史上初の国際化学者会議で配布され,同論文は議場でのかれの弁舌とともに,参加した若手化学者に多大な影響を与えた.周期律の発見者D.I. Mendeleev(メンデレーエフ)とJ.L. Meyer(マイヤー)も参加して,大きな影響を受けた.政界においても穏健な自由主義者として重きをなし,元老院議員として国政に参与した.

出典:森北出版「化学辞典(第2版)」
東京工業大学名誉教授理博 吉村 壽次(編集代表)
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東京大学名誉教授理博 大内 昭(編集)
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東京工業大学名誉教授理博 海津 洋行(編集)
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