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ウィーナー【うぃーなー】

日本大百科全書(ニッポニカ)

ウィーナー(Norbert Wiener)
うぃーなー
Norbert Wiener
(1894―1964)
アメリカの数学者、サイバネティックスの提唱者。11月26日ミズーリ州コロンビアに生まれる。父レオ・ウィーナーLeo Wiener(1862―1939)はポーランド生まれのユダヤ人で、18歳のときアメリカに渡り、苦学してミズーリ大学ドイツ語・フランス語の教授となり、ドイツ系ユダヤ人の百貨店主の娘と結婚した。ノバートはその第1子である。父自身が語学、数学に多面的な才能を有する天才肌の人物で、その父により幼時から徹底した英才教育を受けて、14歳でカレッジを卒業、ハーバード大学大学院に入り、数理哲学の論文で博士の学位を得たのは18歳のときであった。同大学在外研究員として、イギリスのケンブリッジ大学でB・ラッセルの下で数理哲学を学ぶとともに、数学、物理学そのものの勉強の重要性を教えられ、ドイツのゲッティンゲン大学で数学者ヒルベルトに学んだ。第一次世界大戦勃発(ぼっぱつ)とともに帰国、カレッジの哲学臨時講師のほか、さまざまな仕事をしたが、1919年、24歳のときようやくマサチューセッツ工科大学(MIT)の数学講師の職を得、以後、助教授(1925)、準教授(1929)、教授(1932)として、終生ここで研究を進めた。1964年3月18日、学会のために出かけたストックホルムで急死。1935年(昭和10)および1956年(昭和31)に来日した。
 MITに就職してまず取り組んだ研究が、確率過程論的な問題、ブラウン運動の数学的研究であった。ウィーナーはラッセルの下に学んだとき、同じ大学のハーディーGodfrey Harold Hardy(1877―1947)からルベーグ積分を学び、これが確率、統計の理論的研究を進めるうえで役だった。ブラウン運動の数学的模型として定義したウィーナー過程に関する研究は、確率過程論の数学に関する新たな一章を開くものとなった。そして、調和解析の手法に関しても大きく貢献した。確率過程の強度スペクトルに関するウィーナー‐ヒンチンの定理は有名である。また、当初のベクトル理論の研究でバナッハ‐ウィーナー空間の理論も広く知られる。
 ブラウン運動理論は電気雑音の理論と本質的に同一構造であり、後者は濾波器(ろはき)の問題と基本的にかかわる。これは予測理論と関連し、ウィーナー‐ホップの予測の方程式は、後述のサイバネティックスの提唱にとって重要な意義をもつものとなる。
 MITの数学教室の役割が理工科大学における数学科の機能の本質的要素として認められるようになったのは1930年代以降である。その雰囲気のなかでウィーナーの仕事はさらに広く発展する。ホップEberhard F. F. Hopf(1902―1983)との共同研究もそのなかで生まれ、1930年代前半には、のちに情報理論体系の創設者としてウィーナーと並行して研究を進めるシャノンが学生として学んでいた。第二次世界大戦中、ウィーナーは対空火器の射撃制御装置の設計にかかわり、一方、電子計算機の問題にも取り組んだ。また神経生理学者、電気工学者と共同して生物の自己制御機構の研究も進めた。戦後、著作にとりかかり、「動物と機械における制御と通信」を副題とする有名な『サイバネティックス』(1948)を出版した。以後もサイバネティックスについて研究と思索を重ね、社会的に大きな影響を与えるとともに、サイバネティックスの社会的悪用についての警告も行った。ほかに『人間機械論』(1950)、『サイバネティックスはいかにして生まれたか』(1956)、『科学と神』(1964)などの著書がある。[荒川 泓]
『鎮目恭夫訳『サイバネティックスはいかにして生まれたか』(1956/新装版・2002・みすず書房) ▽池原止戈夫他訳『サイバネティックス――動物と機械における制御と通信』(岩波文庫)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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