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ウィリアムズ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

ウィリアムズ
Williams, Andy
[生]1927.12.3. アイオワ,ウォールレーク
[没]2012.9.25. ミズーリ,ブランソン
アメリカ合衆国のポピュラー歌手。少年時代から 3人の兄とボーカルグループを組み,1953年に独立。『バタフライButterfly(1957)をはじめヒット曲は数多く,1962年からの主演テレビ番組も好評を博した。

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ウィリアムズ
Williams, Bert (Egbert Austin)
[生]1876頃.バハマ諸島ニュープロビデンス
[没]1922.3.4. ニューヨーク
アメリカの黒人コメディアン。ミンストレル・ショーを経て 1895年同じく黒人の G.ウォーカーと組んで,各地でボードビルを上演。 1909年ジーグフェルド・フォーリーズに加わり,多くのミュージカルやレビューに出演。

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ウィリアムズ
Williams, Bransby(Bransby William Pharez)
[生]1870
[没]1961
イギリスのミュージック・ホールの芸人。シェークスピアディケンズ作中人物寸描や,有名人の物まねを演じて人気があった。

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ウィリアムズ
Williams, Channing Moore
[生]1829.7.18. バージニア
[没]1910.12.2.
アメリカ聖公会の宣教師。初め中国に派遣され,リギンズとともに上海に渡った (1856) 。次いで日本に転任,長崎に上陸して (56) 禁教令下にある日本への布教を開始した。日本,中国の伝道主教 (66) ,日本専任の主教 (74) となり,さらに英米の宣教協会の協力による日本聖公会が組織されるに及びその総会議長となる (87) 。各地に教会を建て,立教大学 (74) ,立教女学院 (77) を設立した。主著『教会歴史問答』 (1907) 。

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Williams, Charles Walter Stansby
[生]1886.9.20. ロンドン
[没]1945.5.15. オックスフォード
イギリスの文学者。オックスフォード大学講師。詩,小説,評論にわたり多くの著書がある。その着実な学風は T. S.エリオットらに重んじられた。

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Williams, Daniel Day
[生]1910.9.12. デンバー
[没]1973.12.3. ニューヨーク
アメリカの会衆派神学者。デンバー大学 (1931) ,シカゴ大学 (33) ,シカゴ神学大学 (34) ,コロンビア大学 (41) に学ぶ。会衆派牧師 (36~38) ,コロラド・カレッジのチャプレン,宗教学講師 (38~39) を経て,シカゴ神学大学教授およびシカゴ大学神学部教授となる (39~54) 。のちユニオン神学大学組織神学教授 (54) 。 A.N.ホワイトヘッドの影響を受け,特にシカゴを中心としてチャールス・ハーツホーンの指導のもとに展開されたアメリカにおけるプロセス神学の流れをくむ代表的な神学者の一人である。著書"God's Grace and Man's Hope" (49) ,"What Present-Day Theologians are Thinking" (52) ,"The Spirit and the Forms of Love" (68) 。

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Williams, Emlyn
[生]1905.11.26. ウェールズ,モスティン
[没]1987.9.25. ロンドン
イギリスの俳優演出家劇作家。『夜は必ず来る』 Night Must Fall (1935) によって,作家ならびに演出家として成功。俳優としては『以尺報尺』のアンジェロ (37) ,『わが命つきるとも』のトマス・モアを演じた。 1951年ディケンズの作品や書簡から構成したワンマンショーをもって世界各国を巡演。 55年には D.トマスの作品について同様の公演を行う。代表作には自伝的な『小麦は緑』 The Corn Is Green (38) がある。

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Williams, Eric
[生]1911.9.25. トリニダード島
[没]1981.3.29. ポートオブスペイン
トリニダード・トバゴの政治家。オックスフォード大学卒業後,1939~48年ワシントン州のハワード大学で社会・政治学を講義。 56年人民民族運動党を創立し,党首となった。同年イギリスから条件付き自治権を得たトリニダード・トバゴの首相に就任し,62年独立以後も首相として進歩的政策を推進。経済企画相 (1967) ,外相 (73) ,蔵相 (75) も兼務。首相在職のまま死去。学者としても著名で,『資本主義と奴隷』 Capitalism and Slavery (44) など多数の著書がある。

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Williams, Garth
[生]1912.4.16. ニューヨーク,ニューヨーク
[没]1996.5.8. メキシコ,グアナフアト
アメリカの絵本作家。7歳のときイギリスに渡り,のちアメリカに帰る。ロンドンのウェストミンスター美術学校,王立美術学校で絵画,彫刻を学ぶ。婦人雑誌の美術担当編集者となり,のちに挿絵,絵本の仕事に携わる。代表作『白いうさぎと黒いうさぎ』 The Rabbits' Wedding (1958) は,ウサギのふっくらとした毛や表情豊かな目まで細かに写実的に表現している。

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Williams, George
[生]1821.10.11.
[没]1905.11.6.
イギリスの YMCA創立者。ロンドンの織物商の店員となり,店員仲間を集めて祈祷会を開く。ここから,「織物商その他の商業に従事する青年のための救霊会」を組織し,これを「キリスト教青年会」 Young Men's Christian Associationと名づけた。その織物商の後継者となる一方,YMCAの育成に努めた。パリの第1回世界大会 (1855) ,ベルリン大会 (84) を経て,創立 50周年記念会がロンドンで開かれたとき,その功績によりナイトに叙せられた。

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Williams, Oscar
[生]1900.12.29. ニューヨーク
[没]1964.10.10. ニューヨーク
アメリカの詩人,詩集編者。高等学校中退後,長く広告業にたずさわっていたが,その後職を辞して詩作に専念,都会の混沌と不安を主題にした詩を多く書いた。またアメリカの最もすぐれた詩集編者の一人として,多くの詞華集を出版した。主著『金色の暗闇』 The Golden Darkness (1921) ,『近づいてくる人』 The Man Coming Toward You (40) ,『詩選』 Selected Poems (47) 。

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Williams, Raymond Henry
[生]1921
[没]1988.1.26.
イギリスの批評家。進歩的立場をとる。ケンブリッジ大学演劇学教授。『劇-イプセンからエリオットまで』 Drama from Ibsen to Eliot (1952) ,『文化と社会』 Culture and Society (58) ,『現代の悲劇』 Modern Tragedy (66) などの著書がある。

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Williams, Roger
[生]1603? ロンドン
[没]1683. ロードアイランド,プロビデンス
アメリカ植民地時代初期の政治家,宗教家。ケンブリッジ大学卒業後,清教徒の影響を受け,1631年マサチューセッツに移住,セーレムの牧師となった。しかし清教徒神政政治を否定する民主主義思想のためマサチューセッツを追放され,36年ロードアイランドに逃れてプロビデンス植民地を開き,マサチューセッツから逃亡した人々がつくった周辺諸タウンとともにロードアイランド植民地を形成した。 43年渡英,翌年正式の認可を得,みずから最初の総督となった。ロードアイランドは各宗派に対する寛容さのため,宗教的被圧迫者の避難所となった。彼は活発な伝道者であり,先住民族インディアンの権利の数少い擁護者の一人として有名。『コットン氏の最近の書簡を検討し,それに答える』 Mr. Cotton's Letter Lately Printed,Examined and Answered (1644) ,『血なまぐさき迫害の教え』 The Bloody Tenet of Persecution (44) などの著作がある。

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Williams, Samuel Wells
[生]1812.9.22. ニューヨーク,ユーティカ
[没]1884.2.16. コネティカット,ニューヘーブン
アメリカの宣教師。中国学者。 1833年,アメリカの海外宣教団の一員として広東におもむき,印刷,出版事業に従事するかたわら,初期の困難な宣教活動を行い,中国語,日本語を学ぶ。天保8 (1837) 年,『モリソン』号 (→モリソン号事件 ) に乗船して浦賀に来航,次いで嘉永6 (53) 年,M.ペリーの通訳として再び来日。広東では月刊『中国叢報』 Chinese Repositoryの編集にあたり,また,56年から駐清アメリカ公使館書記官。次いで代理公使をしばしばつとめ,76年退官。この間『中国総論』 The Middle Kingdom (2巻,48) を著わし,帰国後エール大学教授として中国語,中国文学を講じた。『創世記』『マタイによる福音書』の日本語訳がある。また,子 F.W.ウィリアムズの編集した"A journal of the Perry expedition to Japan" (1910) が『ペリー日本遠征随行記』として『新異国叢書』に収められている。

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Williams, Tennessee
[生]1911.3.26. ミシシッピ,コロンバス
[没]1983.2.25. ニューヨーク
アメリカの劇作家。本名 Thomas Lanier Williams。ミズーリ大学,ワシントン大学を中退後,1938年アイオワ大学卒業。この間いくつかの一幕劇,詩,短編小説を書いた。最初の多幕劇『天使の戦い』 Battle of Angels (1940) は失敗したが,ハリウッドでシナリオライターをしながら書いた『ガラスの動物園』 The Glass Menagerie (44) がシカゴで上演され,大成功を収めた。次作『欲望という名の電車』A Streetcar Named Desire (47) でピュリッツァー賞を受賞,第2次世界大戦後アメリカ演劇界を代表する一人となった。その後『夏と煙』 Summer and Smoke (48) ,『ばらの刺青』 The Rose Tattoo (50) ,『カミノ・リアル』 Camino Real (53) を経て『やけたトタン屋根の上の猫』 Cat on a Hot Tin Roof (55) で再びピュリッツァー賞を得,『地獄のオルフェウス』 Orpheus Descending (57) ,『去年の夏突然に』 Suddenly,Last Summer (58) ,『青春の甘い鳥』 Sweet Bird of Youth (59) と絶望的な世界観の深まりをみせ,孤独な詩人肌の主人公の悲惨な破滅を描いた。その後『適応期間』 Period of Adjustment (60) ,『イグアナの夜』 The Night of the Iguana (62) ,『牛乳列車はもう止らない』 The Milk Train Doesn't Stop Here Anymore (63) などを発表。ほかに一幕劇集,詩集,短編小説集,長編小説1編がある。

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Williams, William
[生]1731.4.8. マサチューセッツ,フラミンガム
[没]1811.8.2. ニューヨーク,ユティカ
アメリカの実業家,政治家。独立宣言署名者の一人。大陸会議へのコネティカット代表 (1776~78,83~84) として連合規約の作成に貢献。また独立戦争を財政的に援助した。

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Williams, William Carlos
[生]1883.9.17. ニュージャージーラザフォード
[没]1963.3.4. ニュージャージー,ラザフォード
アメリカの詩人。ペンシルバニア大学を卒業してドイツへ留学後,死ぬまで故郷で医師として暮した。『詩集』 Poems (1909) はイマジズムの影響が濃いが,『すっぱい葡萄』 Sour Grapes (21) で表現主義的傾向を示し,独自の世界を開いた。多くの詩集があるが,生れ故郷を主題にした『パターソン』 Paterson (5巻,46~58) は特に有名。冷徹な観察による視覚的で簡潔なイメージを用い,口語を駆使してアメリカを歌った詩が多く,現代詩の先駆者の一人となった。そのほか評論『アメリカの種子のなかに』 In the American Grain (25) ,小説『白いらば』 White Mule (37) ,『金をもうけて』 In the Money (40) ,短編集『農夫の娘たち』 The Farmers' Daughters (61) ,戯曲『恋の夢』A Dream of Love (48刊) ,『自伝』 Autobiography (51) など著書多数。

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Williams, Ted
[生]1918.8.30. カリフォルニア,サンディエゴ
[没]2002.7.5. フロリダ,インバーネス
アメリカ合衆国のプロ野球選手。フルネーム Theodore Samuel Williams。外野手。マイナーリーグで数シーズンプレーしたのち,1939年ボストン・レッドソックスで大リーグデビューを果たし,3割2分7厘の好打率で順調なスタートを切った。1941年には打率 4割6厘を記録。これ以降,大リーグで打率 4割を記録した選手は現れていない(2008年現在)。翌 1942年には初の三冠王に輝いたが,シーズン終了後に海軍に入隊。1946年に球界復帰を果たし,翌 1947年に 2度目の三冠を獲得する。しかし 1952~53年には再び兵役につき,パイロットとして朝鮮戦争で戦闘に加わった。最盛期の数年間を兵役に奪われたにもかかわらず,通算本塁打数 521,終身打率 3割4分4厘を記録。1958年には打率 3割2分8厘を記録し,史上最年長の 40歳でアメリカンリーグ首位打者となった。1960年現役を引退。長年にわたりマスコミやファンとの間に確執があったことでも知られ,生涯最後の打席で本塁打を放ったときもファンの声援にこたえるのを拒んだ。1966年野球殿堂入りを果たした。

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Williams, Robin
[生]1951.7.21. イリノイ,シカゴ
[没]2014.8.11. カリフォルニア,ティブロン
アメリカ合衆国の俳優,コメディアン。フルネーム Robin McLaurim Williams。マリン大学で演技を学んだのち,ジュリアード音楽院に進む。1970年代初めからコメディクラブに出演。1978~82年テレビドラマ『モーク・アンド・ミンディ』Mork & Mindyで一躍人気者となる。『ポパイ』Popeye(1980),『ガープの世界』The World According to Garp(1982)などで映画に進出。『グッドモーニングベトナム』Good Morning, Vietnam(1987)で初の大役をつかみ,アカデミー賞主演男優賞にノミネートされた。『いまを生きる』Dead Poets Society(1989),『フィッシャー・キング』The Fisher King(1991),『ミセス・ダウト』Mrs. Doubtfire(1993)などに出演したのち,心理学者を演じた『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』Good Will Hunting(1997)でアカデミー賞助演男優賞を受賞した。2002年スタンダップコメディ "Robin Williams: Live on Broadway"は大盛況を博した。2011年には戯曲 "Bengal Tiger at the Baghdad Zoo"でブロードウェーデビューを果たした。ほかに,映画『大統領の執事の涙』Lee Daniels' The Butler(2013),コメディ映画 "The Angriest Man in Brooklyn"(2014)など。

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Williams, Betty
[生]1943.5.22. 北アイルランド,ベルファスト
北アイルランドの平和運動家。「ザ・ピース・ピープル」の創始者の1人。プロテスタントの父とカトリックの母の間に生れた平凡な主婦であったが,1976年8月アイルランド共和軍 IRAのテロリストが車で逃走中,イギリス人の警官に撃たれたため,車はコントロールを失って数人を轢き,若者1人と子供3人を死亡させた事件を目撃したことをきっかけに,宗派対立による流血闘争の終結を訴えてプロテスタント住民の間で抗議行動を起した。この行動はまもなく,事件の犠牲となって死亡した子供の叔母で,同じく行動を起していた M.コリガンと引合せることになり,2人は北アイルランド紛争の犠牲者を支援しカトリック,プロテスタント両派の融和を求める組織「ザ・ピース・ピープル」を設立した。 76年コリガンとともにノーベル平和賞を受賞。 78年組織の指導者の地位から退き,82年結婚してアメリカのフロリダに移った。

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ウィリアムズ
Williams, Jody
[生]1950.10.9. バーモント,パトニー
アメリカ合衆国の市民運動家で,対人地雷禁止条約の成立を目指した非政府組織 NGO地雷禁止国際キャンペーン ICBL創設者ジョンズ・ホプキンズ大学高等国際関係論大学院 SAISを卒業後,アメリカのエルサルバドル政策に反対する市民運動に約 10年間従事した。この間,中央アメリカの国々で貧しい人々や子供たちへの医療・教育援助活動を通して,地雷の恐ろしさを実感した。1991年ベトナム戦争退役軍人財団に勤務するとともに,対人地雷禁止を求める地雷禁止国際キャンペーンを創設し,途上国で人道援助活動を行なう 55ヵ国以上,約 1000の NGOを結集する国際連合組織に育てた。地雷廃絶を求めて各国政府へも積極的な働きかけを行ない,1997年12月のオタワ会議での対人地雷禁止条約調印を実現させた。1997年地雷禁止国際キャンペーンとともにノーベル平和賞(→ノーベル賞)を受賞。

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デジタル大辞泉

ウィリアムズ(Tennessee Williams)
[1911~1983]米国の劇作家。1945年に「ガラスの動物園」で好評を博し、「欲望という名の電車」でピュリッツァー賞を受賞。他に「熱いトタン屋根の上の猫」など。

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ウィリアムズ(Andy Williams)
[1927~2012]米国のポピュラー歌手。3人の兄と結成したコーラスグループでの活動を経て、ソロ歌手として活躍。ヘンリー=マンシーニ作曲による「ムーンリバー」などのヒットで知られる。音楽番組の司会者としても親しまれた。

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ウィリアムズ(Theodore Samuel Williams)
[1918~2002]米国のプロ野球選手。ボストンレッドソックスに所属。1941年に打率4割を上回る成績で首位打者となり、同時に本塁打王のタイトルも獲得。以後、首位打者を6度、本塁打王と打点王を4度ずつ獲得し、うち2度は三冠王となった。1949年には84試合連続出塁のメジャーリーグ記録を打ち立てた。背番号9は同チームの永久欠番。テッド=ウィリアムズ。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

ウィリアムズ Williams, Samuel Wells
1812-1884 アメリカの外交官。
1812年9月22日生まれ。宣教師として清(しん)(中国)に滞在中,日本の漂流民に日本語をまなぶ。嘉永(かえい)6年(1853)とその翌年ペリー艦隊の通訳として来日。安政5年再来日し,アメリカのミッション本部に日本への宣教師派遣をうながした。1857年北京(ペキン)のアメリカ公使館書記官となる。エール大教授。1884年2月16日死去。71歳。著作に「ペリー日本遠征随行記」。

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

ウィリアムズ Williams, Channing Moore
1829-1910 アメリカの宣教師。
1829年7月18日生まれ。日本聖公会初代主教。安政6年(1859)最初のプロテスタント宣教師として来日。長崎,大阪で伝道し,明治6年切支丹(キリシタン)禁制がとかれて東京にうつる。20年同会の組織を確立。大阪英和学舎,立教女学院,立教学校(のちの立大)などをつくった。41年帰国。1910年12月2日死去。81歳。バージニア神学校卒。
【格言など】道ヲ伝ヘテ己ヲ伝ヘズ(京都市若王子の記念碑)

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世界大百科事典 第2版

ウィリアムズ【Eric Williams】
1911‐81
トリニダード・トバゴの政治家,歴史学者。1935年オックスフォード大学を卒業後,イギリスで歴史学者を目ざしたが,黒人差別によってその道を閉ざされた。39年アメリカのハワード大学で助教授の地位を得て,48年までそこで学究生活をつづけ,その間古典的名著といわれる《資本主義と奴隷制》(1944)をはじめ多くの業績をあげ,社会経済史学派の立場から黒人奴隷制にかんする〈ウィリアムズ・テーゼ〉を確立した。49年トリニダード・トバゴに帰国後独立運動に入り,56年PNM(人民の国民運動)を結成し,首相に選ばれた。

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ウィリアムズ【Hank Williams】
1923‐53
アメリカのカントリー・ミュージック史上最大の歌手。アラバマ州の貧しい農家に生まれ,14歳のころからバンドをつくって劇場に出たりラジオ番組を持つようになる。1947年MGMレコード社からレコードを出し始めて全国的な人気を獲得,49年にはカントリー界最高のひのき舞台グランド・オール・オープリーに出演し,《ラブ・シック・ブルース》が大ヒットとなって人気は頂点に達した。続いて自作の《コールド・コールド・ハート》《ジャンバラヤ》などがヒットし,自身の人気を高めただけでなく,カントリー音楽の普及にも寄与した。

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ウィリアムズ【Roger Williams】
1603ころ‐83
植民地時代アメリカのピューリタン指導者,開拓者。ロンドン生れ。ケンブリッジ大学卒業後1631年渡米。マサチューセッツの神政政治に反対して追放され,原住民に譲られた土地に政教分離,信仰の自由に基づく植民地(今のロード・アイランド州)を建設。その存立を守るためピューリタン革命期に2回渡英。神学以外に北アメリカ原住民の言語に関する著書もあり,自由の闘士として名高い。【久保田 泰夫】

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ウィリアムズ【Tennessee Williams】
1911‐83
アメリカの劇作家。本名Thomas Lanier Williams。南部,ミシシッピ州に生まれ,不安な青春の中で詩,劇,小説を書き続け,ハリウッドでシナリオを書きながら完成した《ガラスの動物園》(1944)が最初に成功した。南部育ちで昔の夢を追う母,足が悪く極度に内気な姉,文学青年の弟,の一家を描いた抒情的な追憶の劇である。次の《欲望という名の電車》(1947)は,アーサー・ミラーの《セールスマンの死》とともに,戦後アメリカ演劇を代表する傑作とされた。

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ウィリアムズ【William Carlos Williams】
1883‐1963
アメリカの詩人。小児科の開業医だったが,そのかたわら詩,小説,戯曲,評論の各分野に筆を染め,数多くの作品を残した。ニュージャージー州のラザフォードに生まれ,終生そこを生活の基盤として,アメリカの土着のものを題材に,アメリカの日常のことばを使って書いた。同世代のエズラ・パウンドやT.S.エリオットがヨーロッパの伝統と文化を求めてアメリカを離れたのと対照的な立場に立つ。したがって1920‐30年代に支配的だったエリオットの勢威が衰えるにつれて評価は高まり,50年代以降後続の世代の詩人に対する影響力は圧倒的なものとなった。

出典:株式会社平凡社
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ウィリアムズ【Channing Moore Williams】
1829‐1910
アメリカの聖公会宣教師。バージニア州リッチモンド出身。ウィリアム・アンド・メリー大学,バージニア神学校に学び,卒業後宣教師として中国に渡り,1859年(安政6)日本開国とともに来日。69年(明治2)大阪に移り,川口居留地に最初の教会を建立。キリスト教禁制が解けた73年最初の主教として東京に移住し,87年英国国教会のビカステスとともに最初の総会を大阪に招集して日本聖公会の組織を確立した。アメリカの高等教育の日本への移植をはかり,1874年,築地に立教大学の前身である私塾を開いた。

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大辞林 第三版

ウィリアムズ【Williams】
〔Channing Moore W.〕 (1829~1910) アメリカのプロテスタント宣教師。中国伝道ののち、日本聖公会最初の主教として活躍。多くの教会のほか、立教大学・立教女学院を創立した。
〔George W.〕 (1821~1905) イギリスの YMCA の創立者。もとロンドンの服地商で、そこでの祈禱きとう会が発展して YMCA 運動となった。
〔Tennessee W.〕 (1911~1983) アメリカの劇作家。人間のもつ弱さに起因するさまざまな葛藤かつとうと悲劇を描く。代表作「ガラスの動物園」「欲望という名の電車」「焼けたトタン屋根の上の猫」
〔William Carlos W.〕 (1883~1963) アメリカの詩人。アメリカ固有の文化伝統を強く意識した、土着的な、かつ技巧的にもすぐれた詩を多く残した。代表作、長編詩「パターソン」

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367日誕生日大事典

ウィリアムズ
生年月日:1876年6月22日
アメリカの社会学者
1973年没

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精選版 日本国語大辞典

ウィリアムズ
(Tennessee Williams テネシー━) アメリカの劇作家。作品に「ガラスの動物園」「欲望という名の電車」「熱いトタン屋根の上の猫」など。(一九一一‐八三

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