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アクスム

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

アクスム
Aksum
エチオピアのティグライ州にある都市遺跡。アドワの西方約 20km,標高 2200mの高地にある。古代アクスム王国は,ここを首都として,1~7世紀頃まで繁栄した。 40~70年頃成立したと推定される『エリュトラー海案内記』にもその所在についての記事がみられ,内陸からの金,象牙,香料などの交易の中心地であったことを伝えている。古代エチオピアの歴代の王が,ソロモン後裔だと信じる根拠ともなったユダヤ律法の標牌を納めた箱が,シバの女王により,この地にもたらされたという伝承も有名。 10世紀の初め頃,新しいザグエ王朝により,ソロモン系王朝は,南方のショア地方に追われ,以後アクスムは政治上の首都でなくなったが,依然として王の戴冠する宗教的中心地の地位を保ち,現在も聖地となっている。古代の聖堂は 1535年のイスラム教徒の侵攻で破壊され,のちにポルトガル人により新しい聖堂が設立された。宮殿,聖堂などの遺跡とともに,碑銘や絵画が刻まれた各種の巨大な石のオベリスクが,数多く残存している。 1980年世界遺産の文化遺産に登録。

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デジタル大辞泉

アクスム(Aksum)
エチオピア北部、エリトリアとの国境付近にある町。1世紀前後に建国されたアクスム王国の首都。ステッレと呼ばれるオベリスク(石造記念碑)などの史跡が残る。1980年、世界遺産(文化遺産)に登録された。

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世界遺産詳解

アクスム
1980年に登録された世界遺産(文化遺産)で、エチオピア北部ティグライ州にある。紀元前2世紀のアクスム王国の中心地で、海上貿易で栄えたが、7世紀以降、イスラムの支配により没落した。シバの女王の浴槽、タアカ・マリヤム宮殿とデュングル宮殿、カレブ王の墓、シオンのマリア大聖堂、全長33mのオベリスクであるエザナ王のステッレなどが残っている。1937年、イタリアのムッソリーニ軍によって持ち去られた、全長24mある1700年前のオベリスクが、イタリア政府によって返還され、2008年、元の場所に戻された。これらは歴史上の重要な建造物として評価され、世界遺産に登録された。◇英名はAksum

出典:講談社
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世界大百科事典 第2版

あくすむ【アクスム】

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日本大百科全書(ニッポニカ)

アクスム
あくすむ
AxumAksum
エチオピア北部にある古都。標高2100メートルのエチオピア高原上に位置する。人口1万7753(1984)。4世紀のエザナ王の時代に最盛期を迎えたアクスム王国の首都であった。同王国はビザンティン帝国の後押しで南アラビアやペルシアに侵入し、首都アクスムはアフリカ内陸から運ばれてくる象牙(ぞうげ)の集散地として栄えた。30メートルに及ぶオベリスク、防塞(ぼうさい)を備えた宮殿、石の王座、溜池(ためいけ)、ダムなどが建設され、貨幣の製造や田畑の灌漑(かんがい)まで行われた。しかし7世紀のイスラム勃興(ぼっこう)とともに急激に衰亡した。コプト教会の大聖堂があり、聖地となっている。1980年、世界遺産の文化遺産(世界文化遺産)に登録された。[諏訪兼位]

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