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アカデメイア

大辞林 第三版

アカデメイア【Akadēmeia】
紀元前387年頃、プラトンがアテネの郊外に建てた学園。プラトンの死後も後継者が輩出したが、529年東ローマ皇帝ユスティニアヌスにより異教思想の温床として閉鎖された。アカデミア。

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世界大百科事典 第2版

アカデメイア【Akadēmeia】
前387年ころ,アテナイの北西郊外にある公共体育場アカデメイアを利用するかたちプラトンによって開設された学園。教育カリキュラムなど不明だが,数論,幾何学天文学などが最重要の予備学として教授研究されたことは確実である。学園の究極目的は哲学研究にあったが,衰えつつあったギリシア諸国家を救うための,哲学的訓練に基づく理想的な政治家の養成が重要な実践的目的とされていたことも注目される。このアカデメイアにおける学問の純理論的数学的性格と実践的性格は,以後のヨーロッパ的学問の伝統的性格を規定し,形成したといわれる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

アカデメイア
あかでめいあ
Akadmeiaギリシア語
プラトンが紀元前385年ごろに開いた学園。アテネの北西郊外、半神アカデモスAkadmosの神域にあったので、この名がある。プラトンはここで弟子たちと禁欲的な共同生活を営み、とくに数学の研究を重んじた。彼の死後は代々の学頭が後を継ぎ、前3~前2世紀には懐疑論が有力となり、後5世紀には新プラトン主義哲学の中心となったが、529年にビザンティン皇帝ユスティニアヌス1世の命により閉鎖された。「アカデミー」の起源。[清永昭次]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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